「すごい!」喝采を浴びたのです。初めて人に認められた瞬間でした 第 328号

 国内に四店舗、パリに一店舗のフレンチレス

トランを経営する名シェフの黒岩功さん。

 しかし、小学生の頃は体は弱い、勉強も

できない、友達もいない、体育もビリ

という子供だったそうです。

 その黒岩さんには劣等感を克服するきっかけ

となったある感動的なドラマがありました。

────────[今日の注目の人]───

★諦める一歩先に必ず宝がある★

黒岩 功(ル・クログループオーナーシェフ)

───────────────────

 私が料理人を志したのは、自分自身の生い

立ちや家庭環境と深く関わっています。

 生まれつき小児喘息を持っており、小学校

に上がるまで吸入器が欠かせませんでした。

 呼吸をするのも苦しく、体がもの

すごく弱かったのです。

 小学校に上がっても学校を休むことが多く、

勉強もできない、友達もいない、体育競技

もすべてビリという有り様。

 何もできない自分に劣等感やコンプ

レックスを抱くようになりました。

 母親は商売人で、父親は船乗りだったため、

一人で家にいる時間が長く、食事は自分で

つくらなければなりません。

 最初はインスタントラーメンをつくって食べる

だけでしたが、次第にキャベツを包丁で切って

ラーメンの具に加えたりするようになり、

料理が好きになっていきました。

 転機が訪れたのは小学校四年生の時です。

 母親参観日に家庭科の授業があり、そこで

先生が「誰かこのキャベツを切ってくれますか」

と聞きました。

 私がすぐ「ハイ!」と挙手すると、周りは

誰も手を挙げていないばかりか、「えっ、

あの根暗な黒ちゃんが?」と怪訝な

目で見ています。

 先生も驚いた様子でしたが、皆の前に立ち、

いつもどおりキャベツを千切りに

していきました。

 すると、全員から「黒ちゃん、すごい!」

 と喝采を浴びたのです。

 初めて人に認められた瞬間でした。

 教室の後ろでは、いつもは隅のほうで隠れる

ようにしていた母親が真ん中に立ち、涙を

流して喜んでいるではありませんか。……

※以来、黒岩さんは徐々に料理人という仕事に

憬れを抱くようになります。

 しかし、その後の道のりは決して順調では

ありませんでした。

 家庭不和、借金の取り立て、そして本場

フランスでの苛酷な修業。

 黒岩さんはポレオン・ヒルの言葉を支えに

数々の試練を乗り越えていかれます。

 感動的な人生はぜひ誌面で。

 『致知』2016年7月号  

         特集「腹中書あり」P36

http://online.chichi.co.jp/ext/teiki.html

今回も最後までお読みくださり、ありがとう

              ございました。 感謝!

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