「学び」が「成長」として実を結ぶことになる 第1,329号

 武士がいなくなってから150年を経た今も日本

武道が存続し、世界の人々が価値あるものと

認めるのはなぜか? 自己犠牲もいとわず

社会に貢献する「武士道」こそ、行

き過ぎたグローバル資本主義に

疲弊した人々が必要としている崇高な精神である。

 「世のため人のため」に力を尽くし、共助社会を

守る武人がいれば、「和する社会」を復活できる!

 私は、2004年、米軍特殊作戦学校、「グリーンベレー」

に留学し、その成果を持ち帰って、陸上自衛隊に

「特殊作戦群」という特殊部隊を創設した。

 2008年、自衛隊を辞職し、翌年、明治神宮武道場

「至誠館」館長に就任した。毎年、欧州を

中心に海外での武道指導を行った。

 武道人口は、日本では減少しているが、

海外では急増している。

 これには様々な理由があり一概には言えないが、

彼らが日本武道に関心を持つ最大の理由は、

その精神性にあると思う。

 世界の人々が尊敬する「武士道精神」は、

さらに自己犠牲もいとわず社会に貢

献する崇高な精神である。

 日本では古来「学び」は、知識を覚えること

だけでなく、身体を使って体験し行う

こと、つまり「行」だった。

 「武道を学ぶ」「茶道を学ぶ」という場合、それ

はすなわち「体験し体得する」ことを指す。

たとえば漢字を習う場合、書き取り

をして身体を使って学ぶ。

 体験し、体得し、それを実際に自分で体現

できたとき、「学び」が「成長」と

して実を結ぶことになる。

 心が通じれば、戦意は鎮まる。

 武道は「学び」と「生成」の連続。

 武道に限らず、道と名のつく稽古事は、その成果

よりも努力の過程が重視される。つまり、答え

が正しいということよりも、正しい精神

とその実践を重視しているのだ。

 内省と感性を磨く。勘所を身につける。

 武術の稽古と日常生活が相互に関係を持ち、日常

的な仕事や出来事が武術の稽古になり、武術の

稽古で得たことが日常生活に反映できるよ

うになると、稽古が面白くてしょう

がない、ということになる。

 荒谷卓『サムライ精神を復活せよ』

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 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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