『何のために生きるのか』1 第 915 号

 平成17に刊行され、いまもその内容

は色褪せることない『何のため

に生きるのか』。

 同時代を歩んだ五木さんと稲盛さん

の対談は珠玉の人間学講座と

言ってもよいでしょう。

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『何のために生きるのか』

    (五木寛之/稲盛和夫・著)
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【稲盛】
 先ほども申し上げましたように、生まれ

たときのたましいを現世で磨いて、思い

やりに満ちた優しい美しいたましい

にする、そのために現世の苦役

があるというふうに私は

考えているんです。

 若い頃は、いい技術屋になりたいと思い、

ノーベル賞をもらえるような研究者に

なりたいと思ったこともありました。

 また、京セラという会社をつくっていた

だいてから後は、世界有数のセラミッ

クスの会社にしたいと思いました。

(中略)

 しかし、よく考えてみたら、そんな

のは現世における砂上の楼閣みた

いなものでしかありません。

 私の人生の目的は、死を迎えるときに、

私の“たましい”がさらに磨かれて美

しくなっているのかどうか

 それだけが人生の目的だと思うものです

から、あらためてこの人生のなかで自分

のたましいを磨いていくことを

しようと思っているんです。

【五木】
 いや、非常によく分かります。ただ、

僕との違いは、稲盛さんのほうが

求道的というか、倫理的

なんですね。

 僕はもうちょっとアナーキー

なところがある。

 前に『大河の一滴』という本を書き

ましたが、われわれは大河の一滴

として流れ下っていく。

 これは物語ですから、生命の海という

ものがあると想定しているわけです。

 その生命の海にもどった“いのち”は、

太陽の光に熱せられて海水が蒸発

して水蒸気として空にのぼる

ように、われわれの“いの

ち”も空にのぼっていく。

 そして今度は雲となり、それが霧となり、

雨となり、雪となって地上に降り注ぐ。

 木の葉を潤し、森を潤し、

山の峠に積もる。

 それが溶けて地面に滲みこんで小さな

流れになり、渓流になり、そして工場

用水に使われるか、それとも水田を

潤すか、それはわかりません。

 でも、いろんな形で使われていく。

 われわれは生きて一所懸命働いて、“こ

ころ”も疲れるけど、“からだ”も疲れる。

と同時に“いのち”も疲れてくる。

 疲れた“いのち”は最後には、汚れた水も、

きれいな水も全部ひとしなみに大河に

流れて、大河と一緒にずっとまた

海へ戻って吸い込まれていく。

 それで疲れた“こころ”と“からだ”と“いの

ち”を海で癒して、また海の中から、いず

れ太陽の光に熱せられて蒸発して

いくわけですね。

 それを親鸞は「往還(おうげん)」

という言葉で呼んでいます。

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今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝

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