あの涙は自分というものに気づかせてくれるきっかけでした 第 1,899 号

1971年創業、富山県・石川県を中心に、
冠婚葬祭事業で発展を続けるオークスグループ。
しかし、そのグループ創業に至るまでの道のり
は、室内設計会社の倒産など苦難の連続だった
と言います。


グループ創業者・奥野博さんに当時を振り返って
いただいた、約20年前の貴重なインタビューを
お届けします。


───────────────────

(――【※室内設計会社の倒産から】徐々にしろ、
這い出すきっかけとなったものは何ですか?)

〈奥野〉
やはり母親の言葉ですね。父は私が幼いころに
死んだのですが、その33回忌法要の案内を
受けたのは、奈落の底に沈んでいるときでした。

倒産後、実家には顔を出さずにいたのですが、
法事では行かないわけにいかない。
行きました。案の定、

しらじらとした空気が寄せてきました。

無理もありません。そこにいる兄弟や親族は、
私の頼みに応じて金を用立て、迷惑を被った
人ばかりなのですから。


(――針のむしろですね。)

〈奥野〉
視線に耐えて隅のほうで小さくなっていたのです
が、とうとう母のいる仏間に逃げ出してしまい
ました。

(――そのとき、お母さんはおいくつでした?)

〈奥野〉
84歳です。

母が「いまどうしているのか」と聞くので、
「これから絶対失敗しないように、なんで
失敗したのか徹底的に考えているところなん
だ」と答えました。すると、母が言うのです。

「そんなこと、考えんでもわかる」

私は聞き返しました。

「何がわかるんだ」
「聞きたいか」
「聞きたい」
「なら、正座せっしゃい」

威厳に満ちた迫力のある声でした。

(――84歳のお母さんが。)

〈奥野〉
「倒産したのは会社に愛情がなかったからだ」

と母は言います。

心外でした。自分のつくった会社です。
だれよりも愛情を持っていたつもりです。
母は言いました。

「あんたはみんなにお金を用立ててもらって、
やすやすと会社をつくった。やすやすとできた
ものに愛情など持てるわけがない。


母親が子どもを産むには、死ぬほどの苦しみが
ある。だから、子どもが可愛いのだ。あんたは
逆子で、私を一番苦しめた。
だから、あんたが一番可愛い」
母の目に涙が溢れていました。

「あんたは逆子で、私を一番苦しめた。
だから、あんたが一番可愛い」

母の言葉が胸に響きました。

母は私の失態を自分のことのように引き受けて、
私に身を寄せて悩み苦しんでくれる。愛情とは
どういうものかが、痛いようにしみてきました。

このような愛情を私は会社に抱いていただろうか。
いやなこと、苦しいことはすべて人のせいにして
いた自分の姿が浮き彫りになってくるようでした。

「わかった。お袋、俺が悪かった」

私は両手をつきました。

ついた両手の間に涙がぽとぽととこぼれ
落ちました。


涙を流すなんて、何年ぶりだったでしょうか。

あの涙は自分というものに気づかせてくれる
きっかけでした。


(※本記事は『致知』1998年8月号
特集「命の呼応」より一部を抜粋・編集
             したものです)

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 今回も最後までお読みくださり、

   ありがとうございました。感謝!

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