すべての都市は.人の交流により生まれ.そして衰退する 第 445号

 これまで光が当たることの少なかった地形と

歴史との関係性。

 しかし、これを解明することによって、いま

までわからなかった多くの歴史の真実が

明らかになってきた。

 その第一人者である竹村公太郎氏を一部監修に

迎え、土地や地形との関わりから歴史を再点検。

 安土城の位置に秘められた信長の野望、歴史を

作った上町台地という地形、地形でわかった

元寇の勝利の理由などなど、新発見が続々。

 地形を見れば歴史が見えてくる。

 地形は静かに、そして雄弁に歴史を

物語っている。

 日本最初の歴史書は古事記・日本書紀とされる。

 成立は8世紀始め、今から1300年ほど

前ということになる。

 当然だが、日本の歴史はそのはるか以前から

続いている。

 地形や気候から歴史を類推するということは、

文書記録にはない過去を知るということである。

 さらに、記録者の主観が入らない情報である

ため、ある意味でよりリアリティのある歴史

観が、そこから現出することになる。

 地形から歴史を読み解く。

 そこから広がる新しい知見に、興味は尽きない。

 ギザのピラミッドも、仁徳天皇陵も位置確認の

ランドマークとして建設されていた。

 古代エジプト人は、ナイルの干拓をしている時、

自分の位置確認をするため、方角を認識する

必要があった。

 ピラミッドの存在は、これを簡単に解決

してしまう。

 つまり、ピラミッドは砂漠の中の灯台のような

ランドマークだった。

 富士の絶景を駿府城の天守閣と並べて見せるため、

家康は東海道を古来からの通りから変更している。

 駿府城の天守閣は大御所家康の権威の象徴でも

あった。

 関東、そして全国の森林地帯を確保した徳川家康。

 長く続いた戦乱と繁栄の繰り返しで、関西の森林

は壊滅状態だった。

 家康が関西を嫌った理由はここにもある。

 御三家が置かれた場所にはいずれも豊かな

森林があった。

 人口の増加による関西の森林崩壊を知っていた

家康は、日本全土のエネルギー資源を手に入れた。

 関東のほかに中部の木曽川に尾張徳川家、紀州

の紀ノ川に紀州徳川家、北関東の那珂川に

水戸徳川家と、いわゆる御三家を置いて

川沿いおよび山林を押さえている。

 安土城の真価は、琵琶湖の湖上交通を考えない

限り理解することはできない。

 湖畔の壮大な天守は家臣の居城に水路で

繋がっていた。

 どこかの城が敵の攻撃を受けると、速やかに

援軍が舟で駆けつけることができる絶対的

な連携が、完全に構築されていた。

 これこそが織田信長が築き上げた「湖水上の

ネットワーク」なのであった。

 すべての都市は、人の交流により生まれ、

そして衰退する。

 交通網の有無が都市の盛衰という命運を分ける。

 軍事、交流の拠点である福岡。

 侵略の危機にさらされた福岡。

 この地は、大宰府を中心に要塞が築かれた

日本の玄関口だった。

 モンゴル帝国の侵略・元寇は、神風だけでなく、

日本の地形と、それを生かした鎌倉武士の

奮戦により失敗した。

 モンゴル帝国は水辺の地形に弱かった。

 モンゴル帝国の東アジア完全支配は、日本、

ベトナム、樺太アイヌの抵抗により頓挫した。

 黒田官兵衛が秀吉に献上した天下への足

がかりとしたのが姫路城。

 姫路城を拠点にできたことで、秀吉は中国全体

での作戦において多大なる利益を受けた。

 西国交通の要衝、姫路。

 その輸送路が秀吉の兵站を潤わせた。

 備中高松城攻めで毛利と和睦を成立させた

秀吉は、2万の軍勢を大急ぎで畿内に

向けて引き返した。

 姫路で補給を手早くすませ、さらに決戦の

地へと「鬼神のごとく」行軍を続け

たのである。

 これを可能たらしめた姫路の兵站基地と

しての補給能力は驚嘆に値するものだ。

 それは黒田官兵衛の采配によるものだ。

 この強行軍によって秀吉は一気に天下人と

しての階段を駆け上がることと

なったのである。

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  今回も最後までお読みくださり、ありがとう

              ございました。 感謝!

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