すべての都市は.人の交流により生まれ.そして衰退する = 2-2 = 第1,605号

 富士の絶景を駿府城の天守閣と並べて見せる

ため、家康は東海道を古来からの通りから

変更している。駿府城の天守閣は大御

所家康の権威の象徴でもあった。

 関東、そして全国の森林地帯を確保した徳川

家康。長く続いた戦乱と繁栄の繰り返しで、

関西の森林は壊滅状態だった。家康が

関西を嫌った理由はここにもある。

 御三家が置かれた場所にはいずれも豊かな森林

があった。人口の増加による関西の森林崩壊を

知っていた家康は、日本全土のエネルギー

資源を手に入れた。関東のほかに中部の

木曽川に尾張徳川家紀州の紀ノ川に

紀州徳川家、北関東の那珂川に水戸

徳川家と、いわゆる御三家を置い

て川沿いおよび山林を押さえている。

 安土城の真価は、琵琶湖の湖上交通を考え

ない限り理解することはできない。湖畔の

壮大な天守は家臣の居城に水路で繋がっ

ていた。どこかの城が敵の攻撃を受け

ると、速やかに援軍が舟で駆けつけ

ることができる絶対的な連携が、

完全に構築されていた。

 これこそが織田信長が築き上げた「湖水上

のネットワーク」なのであった。

 すべての都市は、人の交流により

生まれ、そして衰退する。

 交通網の有無が都市の盛衰という命運を分ける。

 軍事、交流の拠点である福岡。侵略の危機に

さらされた福岡。この地は、大宰府を中心

に要塞が築かれた日本の玄関口だった。

 モンゴル帝国の侵略・元寇は、神風だけでなく、

日本の地形と、それを生かした鎌倉武士

の奮戦により失敗した。

 モンゴル帝国は水辺の地形に弱かった。モン

ゴル帝国の東アジア完全支配は、日本、ベト

ナム、樺太アイヌの抵抗により頓挫した。

 黒田官兵衛が秀吉に献上した天下への足が

かりとしたのが姫路城。姫路城を拠点に

できたことで、秀吉は中国全体での

作戦において多大なる利益を受けた。

 西国交通の要衝、姫路。その輸送路

が秀吉の兵站を潤わせた。

 備中高松城攻めで毛利と和睦を成立させた

秀吉は、2万の軍勢を大急ぎで畿内に向け

て引き返した。姫路で補給を手早くす

ませ、さらに決戦の地へと「鬼神の

ごとく」行軍を続けたのである。

 これを可能たらしめた姫路の兵站基地として

の補給能力は驚嘆に値するものだ。それは

黒田官兵衛の采配によるものだ。この

強行軍によって秀吉は一気に天下人

としての階段を駆け上がること

となったのである。

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 今回も最後までお読みくださり、

   ありがとうございました。感謝!

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