世界で食糧危機が起きれば.それを救う可能性のある国ウクライナ = 2-1 = 第 798 号

 ロシア帝国やソヴィエト連邦のもとで長く忍従

を強いられながらも、独自の文化を失わず、

有為の人材を輩出し続けたウクライナ。

 不撓不屈のアイデンティティは、どの

ように育まれてきたのか。

 スキタイの興亡、キエフ・ルーシ公国の隆盛、

コサックの活躍から1991年の新生ウクライ

ナ誕生まで、この地をめぐる歴史を俯瞰。

 人口5000万を数え、ロシアに次ぎヨーロッパ

第二の広い国土を持つ、知られざる

「大国」の素顔に迫る。

 1996年の秋、私は駐ウクライナ大使

に任命された。

 そこで新任地に出発する前に、関係者や知人に

挨拶回りをしたり、話を聞きに歩いた。

 ほとんどの人がウクライナと聞いて思い

浮かべるのは、学校で習った「穀倉

地帯」という言葉であった。

 実際にウクライナで暮らしてみると、確かに

穀倉地帯であることは間違いない。

 ウクライナは、それだけでは片付けられない

複雑で非常に懐の深い大国であると

感ずるようになった。

 一体このギャップはどこから来るのだろうか。

 ウクライナ史の権威オレスト・スブテルニー

は、ウクライナ史の最大のテーマは、「国

がなかったこと」だとしている。

 すなわち、多くの国において歴史の最大の

テーマが民族国家の獲得とその発展である

のに比し、ウクライナでは国家の枠組

なしで民族がいかに生き残ったかが

歴史のメーン・テーマであった

というのである。

 「国がない」という大きなハンディキャップを

もちながらも、そしてロシアという言語、文化、

習慣の近似した大国を隣にもちながらも、

ウクライナはそのアイデンティティ

を失わなかった。

 ロシアやその他の外国の支配下にありな

がら、ウクライナは独自の言語、文化、

習慣を育んでいった。

 ウクライナは確かに存在していたが、これまで

地下水脈のように何世紀も表には現れないできた。

 そしてソ連帝国が崩壊してようやく

泉のように地表に現れてきた。

 アメリカ、カナダではウクライナ系の移民

がそれぞれ百万の単位でいることから、

ウクライナに対する関心も高い。

 公国とか大公国というと、王国に満たない

小国を連想しがちである。

 しかし、キエフ・ルーシ公国は、中世ヨーロッパ

に燦然と輝く大国であった。

 黒川祐次

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今回も最後までお読みくださり、ありがとう

            ございました。感謝!

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