主人の表情はとても穏やかで嬉しそうでした = 2-1 = 第1,008号

 コーヒー界の「インディ・ジョーンズ」

世界中を駆け巡る!! 世界を股にかけた

圧倒的な面白さのビジネス活劇!! 

 「自分の仕事を愛し尽くす……男の真の

幸せとは、こういうことなんだ! 」

 私が「コーヒー屋になる」と

決めたのは小学生のとき。

 子どものころからずっと、コーヒー

の生産国にあこがれていた。

 そして、その夢を叶えるため、18歳で

単身中米のエルサルバドルへ留学した。

 「多くの人に、本当においしい

コーヒーを飲んでほしい」ただ、

その一念で生きてきた。

 座右の銘は、「何人かが、当然それを

為すべきはずである。それなら、自分

が何ゆえ為さずに済むものか」

 すごい生産者がいる、すごいコーヒーが

あると聞けば、どこへでも飛んでいく。

 たとえ、それが中南米の密林の奥地だろ

うと、アフリカの高地であろうと、

アラブの荒野であろうと。

 おいしいコーヒーがあるところを目指

して、ただひたすら突き進む。

 いつのころからか、私は「コーヒー

ハンター」と呼ばれるようになった。

 「コーヒーのために私ができることは

すべてやる」私は、それを実践して

生きている。

 1956年、私は静岡のコーヒー焙煎卸売業

を営む家の長男として生まれた。

 私は子どものころから、焙煎する前の

生豆を保管する倉庫に入り浸っていた。

 私の大好きな場所が倉庫だった。

 倉庫は居心地がよかっただけでなく、

世界へ通じる扉のような場所だった。

 コーヒー豆が入った麻袋は異国情緒に

あふれ、産地ごとに異なるデザイン

と言語がプリントされていた。

 いつの間にか、そんな麻袋に惹きつけ

られ、麻袋がどこからやって来るの

かに興味を持つようになった。

 従業員が焙煎する生豆を取りに倉庫に

来ると、一緒に探すのを手伝った。

 ブラジル、エルサルバドル、コロン

ビア・・・・。

 それがスペイン語なのかポルトガル語

なのかを知るずっと前に、生産国の

名前を自然に覚えてしまった。

 そして、その生産国が日本から遠く離れ

た地球の反対側にあることが、無性に

私の好奇心をかきたてた。

 高校時代の夏休み、寺へ修行に出された。

 住職から、言われた。「将来、コーヒー

屋になるお前にとって、茶道を学ぶこ

とはけっして無駄にならない」

 住職からは、表千家のお点前を

習うことを薦められた。

 寺の片隅には瀟洒な茶室があり、毎週、

茶道のお師匠さんが寺にやって来た。

 その後、エルサルバドルの大学へ留学、

そこに飽き足らず、国立のコーヒー

研究所へ入り込んだ。

 コーヒー農園へ修行に行き、自分

の役割を探し始めた。

 そこで、コーヒーを知るうえで何より

大切なことは、ひとつでも多くの

農園を見て回ること、現場を

知ることだと痛感した。

 1981年、UCC上島珈琲の創業者、上島

忠雄会長が、ロサンゼルスにいた

私のところへ会いに来た。

 「1933年に個人商店として創業して以

来、生産地にコーヒー園を持つことを

夢見てここまでやってきたんや。

 その夢が、いまジャマイカで

叶おうとしている。

 ただコーヒー栽培ができる

技術者が日本にはおらへん。

せやから、ぜひ手伝ってくれへんか」

 会長は、私が言葉をはさむ余地がないほど

の勢いで、ジャマイカでの農園開発プロ

ジェクトの全容を語り続けた。

 ジャマイカへ着任して以来、何度も

困難が待ち受けていた。

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今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝

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