人は悩みぬいた中で成長すると次の人生の扉が開く 第 523号

 飛行機の機内や駐車場、エレベーターなどに

設置されたFFミラーをご存じでしょうか。

 このFFミラーの開発製造で世界から大きな

注目を集めているのが埼玉県にある

コミーという会社です。

 社長の小宮山栄さんは若い頃、何をやっても

長続きせず、転職を繰り返していたそうです。

 ここではそんな小宮山さんの

歩みをご紹介します。

────────[今日の注目の人]───

☆ 出会いの喜び、創る喜び、
 信頼の喜び、もっともっと ☆

小宮山 栄(コミー社長)

───────────────────

 私が信州大学工学部を卒業し、ベアリングの

名門メーカーに入社したのは1962年のこと。

 しかし、いざ入社すると同期は東京大学や

慶應義塾大学といった超一流大学の

卒業生ばかり。

 加えて、生来の引っ込み思案な性格が災い

して、なかなか仕事を覚えることが

できません。

 後輩が入ってくると、遂に上司は私を飛び

越えて後輩に仕事を頼むようになり、

ますます劣等感に苛まれる

ようになりました。

 精神的にまいっていたのでしょう。

 やがて周りから「役立たず」と囁かれている

気がし始め、私は3年半で退職する

ことになったのです。

 まさに「脱サラ」ならぬ「落サラ」でした。

 その後も自動車整備業や百科事典の営業など、

自分の適性が分からず、職を転々と

する苦しい日々を送りました。

 光が見えたのは1967年のこと。

 当時、私は知人の紹介で帝国劇場や宝塚の看板

を手掛ける会社で働いていたのですが、自分

にもできるかな、と思っていた矢先、

偶然「シャッターに文字を

書いて優雅な生活」と書かれた新聞

記事を目にしたのです。

 不思議と「これだ!」と閃くものがあった

私は、ペンキと刷毛、筆、バイクだけで

商店街の店舗を回り、シャッターの

文字書き塗装業を始めました。

 商店街のシャッターに文字を書く仕事は

いわば看板業の隙間ビジネス。

 意外にもこれがとてもうまくいき、一年後

には……

※「落サラ」だった小宮山さんは、どのように

して世界から注目を集める社長へと変貌を

遂げられたのでしょうか。

 続きは本誌でお読みください。

 『致知』2017年1月号

       連載「致知随想」P85

 今回も最後までお読みくださり、ありがとう

             ございました。感謝!

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