人間が生き延びるための公共の絵を描き込もうとした = 2-2 = 第 1,752 号

 新平には「人間道楽」といってもいい性癖

がある。これは、と見込んだ人物がいれば、

借金をしてでも支援した。交際に金を注

ぎ込み、散財する。仕事のできる人間

が好きで、優秀な人間がいると聞け

ば、役所や大学から奪い取るよう

にして台湾に連れてきた。

 台湾統治のベースは「生物学の原則」だ。

旧い慣習を生かすには、あらかじめ

それを調べ尽くす必要がある。

 岡松が率いる旧慣調査会は、清国時代の

行政実態や、土地の取引、親族間の相続、

先住民の生活ぶり、流布する台湾私法

全般を綿密に調べ上げる。調査会は、

膨大な報告書群を作成し、数々

の律令を起草した。

 後藤がスカウトした面々は、行政の専門家

集団を形成し、台湾からやがて満州、内務

省や鉄道省、東京市、関東大震災後の帝

都復興院へとボスが権力の階段を昇る

に従って移動する。

 藩閥の圏外にある後藤が、政官界の荒波を

かき分けて進むには自前の人材ネット

ワークの構築が不可欠であった。

 満鉄の開業を目前に、後藤の「人間道楽」

がまた始まった。使えると思った人材を

強引にスカウトするのである。副総

裁には台湾時代の右腕、中村是公

を起用した。

 中村は東京帝大で夏目漱石と同級生。

ボート部で鳴らしたべらんめえの

バンガラ学生だった。大蔵省

出身の中村は、台湾でも

豪放な人柄で部下から慕われた。

 後藤の「広大志向」は日本人離れしている。

満州の原野にふさわしい感性だった。

 日本の羅針盤となった後藤は、政治家として

の集大成の思いを込めて、台北、大連、長春

そして東京‥‥都市と呼ばれるキャンバス

に一心不乱に人間が生き延びるための

公共の絵を描き込もうとした。

 後藤と同い年の伊東巳代治は、長崎の通詞の

家系に生まれ、伊藤博文の側近として明治

憲法の制定に尽力し、官界で力を蓄えた。

 大臣経験はごく短期間だったが、政治の矢面

には立たず、裏での政界操作をこよなく愛

した。後藤は、同い年の巳代治の「憲法

の番人」としての思考力、文案作成

能力を高く買っていた。

 伊東巳代治は、交渉にかかわる文章の「解釈」

にかけては右に出る者がいない、といわれた。

文案を、我田引水、いかようにも解釈して

しまうのだ。政党や藩閥の後ろ盾のな

い後藤には心強い存在でもあった。

 後藤は、決まって「自治三訣」を口に

した。「人のお世話にならぬよう。

人のお世話をするよう。そし

て報いを求めぬよう」

 「人間道楽」で集められた精鋭たち。

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 今回も最後までお読みくださり、

     ありがとうございました。感謝!

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