信長の政商として天下統一事業を財政から支えた = 2-2 = 第1,319号

 戦国武将たちの生殺を握る商都「堺」。

堺を制する者は天下を制す。

 信長は、将軍の足利義昭から副将軍か畿内の

管領に就くよう要請された。しかし信長は

これを断り、堺、大津、草津に代官を

置く許可を願い出た。

 これは、信長が経済観念に優れていたとして、

よく語られるエピソードだ。それらの地

は、当時、日本有数の港である。

 流通拠点を押さえることは、経済だけではなく

軍事も押さえることになる。信長が堺、大津、

草津に目をつけたのは、そこに大きな理由

があった。しかし、戦国大名のだれも

がこのことに気付いていたわけでは

ない。むしろ、多くの大名は

港よりもとにかく領地を欲したのである。

 そんな中で、信長はことさら港を欲した。

そこに信長の偉大さがあったともいえる。

 極端にいえば、信長は堺を押さえることで、

東日本の大名たちを干上がらせたのだ。

 信長が堺を欲したのは、収入だけが目的では

なかった。堺には、日本最先端の武器製造

工場が集まっていたのである。

 堺を押さえた信長は、当然のことながら堺の

軍需産業を独占しようとした。軍需産業を

押さえるにあたって、信長はある商人

を利用した。今井宗久である。

 今井宗久は軍需物資に限らず、信長の経済面

での片腕となっていった。堺五箇荘の代官

に任命され、塩や干物などの年貢の

徴収権も管轄した。

 生野銀山の運営を任されていたり、淀川の通行権

も与えられており、宗久は信長の政商として、

信長の天下統一事業を財政から支えた。

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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