俺が冷や飯の旨い食い方をおしえてやる 第1,569号

 「とげぬき麻生」「地震・雷・火事・麻生」

「年増にもてる麻生」「インターネット愛用

の若者にソコソコ受ける麻生」―幅広い層

にファンをもつ麻生太郎の異名は「半径

二メートルの男」一度でも麻生に接す

れば、必ずファンになる。「日本の

底力」の原点ここにあり。

 麻生太郎はカネ持ちのボンなのに、毎日、

麦飯を食べさせられた。麻生家には白米

を買えるだけの財力があった。

 祖母の夏子と母・和子の子育て方針による。

よその家に招かれたとき、どんなものでも

おいしく、感謝の気持ちを持って食べら

れるようにと、自宅では麦飯を主食

としていたのだ。

 父の太賀吉も、身内に対しては、とくに、

長男の麻生太郎には厳しい態度で接した。

 もっとも躾にこだわったのが、太賀吉の母、

夏子である。上総国一宮藩主・加納久宣の

六女として生まれた彼女は、厳格な明治

の女で、礼儀作法にも厳しかった。父

の太賀吉も、母の和子も、吉田茂の

バックアップで忙しかった。

 夏子は、麻生家を護り、孫たちの面倒を見て

いた。朝一番の「おはようございます」から、

寝る前の「おやすみなさい」までの挨拶や、

礼儀作法はもちろんのこと、箸の使い方

や食事中の姿勢まで、徹底的に仕込まれた。

 麻生太郎は、二回生のとき落選を経験している。

そのとき、田中角栄から励まされ、復活した

とき、挨拶にいった。そのとき角栄から

こう言われた。「落選は大きな財産

だと思え。おまえみたいなええ

とこの子にはいい経験になる」

 平成10年、加藤紘一が宏池会の後継者になる

と、河野洋平と麻生太郎は、15名で会を

離脱して大勇会を旗揚げした。

 麻生はこのとき、仲間の若手議員に次の言葉

を贈った。「義理と人情と、やせ我慢」

 当時の若手の一人、松本純は、後述して

いる。「正直言って、大派閥を飛び出

し、ちいさな集団に入るのには不安

があった。けどね、麻生さんに、

俺が冷や飯の旨い食い方を

おしえてやるって‥‥

それで安心できた」

 新川典弘『太郎さんの秘密:

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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