包丁の研ぎ方一つで料理の味は変わるんだよ = 2-1 = 第 278 号

 事業構造の転換にとまどった日立は低空飛行を

続けました。そして、訪れたリーマンショックの痛撃。

 世界的な需要減によって日立は存亡の危機に

直面しました。

 1999年、日立製作所の副社長川村隆は、北海道

への出張のため全日空新千歳行き61便の飛行機に

乗り込んだ。

 その飛行機は、旅客機マニアの犯人にハイジャック

された。

 犯人は、機長を殺害し、副機長を外に出し、

操縦した。たまたま乗り合わせた非番のベテラン

パイロットの山内が、マニュアルを無視し、ドアを

破ってコックピットに入り、あと20秒で墜落と

いうところで、機体の失速を回避した。

 この事件からちょうど10年後の2009年、

 日立製作所は製造業史上最大となる7873億円

の最終赤字を計上した。

 売上高10兆円、日本最大のコングリマリットは、

33万人の従業員を乗せながら、全日空61便の

ように急降下した。

 そして同年4月、旧経営陣の多くは退陣し、6年前に

副社長を最後に子会社に転出していた川村を会長兼社長

に起用する。

 歴史の奇妙な偶然を感じさせるのは、61便を救出

した山内がその日、便の運行には携わらない「非番の

パイロット」だったことだ。

 乗客が証言しているように、ハイジャックの事実を

間近に見ながら、マニュアル通りの対応しか

できなかった客室乗務員。

 その静止を押しのけて、山内や数名の乗客が協力

してコックピットに入り、機体を再上昇させたことは、

10年後に日立に起きたことと酷似している。

 川村はもともと、何かを決めるときに人に相談を

するタイプではない。

 川村を長く知る社内の人々は、「即断即決で味気

ないぐらいドライ」という印象を持っている。

 そもそも会議や合議というものをあまり好まない。

 「時計の針を巻き戻したような布陣」

 62歳の古川から69歳の川村への社長交代は、

メディアの格好の餌食になった。

 だが、川村は意に介さなかった。

 「23人の専務と常務は意思決定の会議から外そう。

 今はスピードが最重要だ。

重要な意思決定はこの6人で決める」

 4月1日の新体制発足直後の経営会議で、川村は

集まった5人の副社長にこう宣言した。

 川村隆という人物を一言で表現するのは難しい。

 日立のエリートコースを歩んできたが、若い頃から

ガツガツしたところをあまり見せなかった。

 それは、荘子のつぎの言葉が川村に当てはまる。

  「君子の交わりは淡きこと水の如し、

       小人の交わりは甘きこと禮の如し」

 つまり、「物事をよくわきまえた人の交際は

水のようだ。つまらぬ小人物の交際は、

まるで甘酒のように甘く、ベタベタした関係であり、

一時的には濃密のように見えても、

長続きせず、破綻を招きやすいものだ」

 日立本体の顧客は、受注金額順に業種を並べると、

電力、ガス、通信、金融となる。

 古くからインフラ企業を顧客にしてきた日立

らしい顧客構成だ。

 だが、これを日立グループに切り替えると

まったく異なる風景が見えてきた。

 それは、電機、自動車、流通となる。

 川村は、出血している事業のリストラ。

 近づける事業と遠ざける事業の峻別を行った。

 そして今後成長が見込まれる情報システム系の

上場子会社をTOBで取り込み、社外に流出して

いる利益を取り込んだ。

 「日立に追い風が吹いている」2010年4月、

新社長に就任した中西宏明は、はじめての記者会見

で開口一番、こう宣言した。

 過去1年、守り6割と言ってきた緊急事態フェーズ

から、一気攻めに転じる旗印を鮮明にしたのだ。

 キーワードは「グローバル」。

 「日立を世界有数の社会イノベーション企業にする」

と中西は強調した。

  小板橋太郎

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 今回も最後までお読みくださり、ありがとう

              ございました。 感謝!

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