合理的にして常に時代を先取りしながら進んでいった 第 735 号

 多民族共生を目指した満州合衆国の喪失は、

戦後アジアの新興多民族国家のモデルの

喪失であるばかりでなく、中国人に

とっては近代国家とは何かという

問いすら失わせた。

 満州国とはどんな国で、どんな遺産が

残されたのかを解く。

 日本人が満州国の建国、復国に最大の情熱を

傾けたことは事実であり、ただ単に関東軍

の陰謀という「陰謀史観」で語り尽く

せるものでもない。

 満州国建国後13年半にして、そこは北東アジア

の重工業の中心地となり、自動車や飛行機まで

作られる一大近代産業国家にまで成長した。

 それは人類史上、奇跡としか言いようがない。

 満州国は巨大な遺産を残した。

 毛沢東はかつて「かりにすべての根拠地を失って

も、東北(満州地域)さえあれば社会主義革命

を成功させることができる」語った。

 実際、戦後の満州は中国の重工業生産

の9割を占めた。

 満州社会は馬賊と、匪賊、警察、軍人が

不即不離の関係にあった。

 当時の日本軍にとって、中国の混乱が満州へと

波及することは絶対に阻止しなければ

ならない最大の責務であった。

 関東軍司令官も、山東省に駐屯している

日本軍司令官も、それを熟知していた。

 満鉄こそが中国を近代化した事実を見よ。

 関東軍と満鉄がなければ、満州は

荒野のままだった。

 地元の有力者や大物馬賊が次々に賛同し、

民衆の支持があったからこそ、満州国

は成立したといってよい。

 私は、満州国の舞台裏の主役が日本人であった

ということは否定しない。

 しかし、日本人を主役とする満州国経営は、

台湾、朝鮮半島経営経験の反省から、

民族の共存共栄を目指しており、列強

諸国のいかなる植民地経営とも異なっていた。

 日本人の適応力や対応力は極めて強く、

自己改革も極めて早い。

 それは台湾、朝鮮半島、満州国経営を

みてもよくわかる。

 いつも経営方式を反省しながら試行錯誤

しつつ変えていくので、変化に早く適応

し、合理的にして常に時代を先取り

しながら進んでいった。

 それは日本人が伝統にこだわらず、常に斬新

な発想と創新を志向しているからだ。

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今回も最後までお読みくださり、ありがとう

            ございました。感謝!

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