吉田総理の見識に恐れ入ったものである 第1,734 号

 内閣調査室は本当に日本を親米反共国家に

するための謀略機関だったのか―創設から

70年近くたった今日でも、なお闇に包ま

れた戦後史最後の謎を解き明かす第一

級の史料 !

 この物語の主人公の志垣民郎氏は、吉田茂

首相が国家地方警察本部警備課長だった村

井順に命じ、内閣総理大臣官房調査室を

創設した際の四人の配下の一人である。

 志垣氏の主な仕事とは、優秀な学者・研究者

に委託費を渡して、レポートを書かせ、そ

れを政策に反映させることだった。

 100人を超えるリストの面々は豪華の一言に

尽きる。時代を牽引した学者はすべて志垣氏

の手の内にあった。とくに重要なのが藤原

弘達。「時事放談」で知られる政治学者

は、東大法学部で丸山真男ゼミに所属

した俊才であった。「彼が左翼に行

ったら、厄介なことになる」。そ

こで志垣氏は、彼を保守陣営に

引っ張り込むために、あら

ゆる手立てを尽くす。

 吉田総理は内調の資料をよく読んでおり、

時折ここが知りたい、と名筆で書いてきた。

 吉田氏の達筆ぶりは見事なもので、

私はその字を感嘆の心で読んだ。

 私が見たのは「在日朝鮮人問題について

もっと詳しく知りたい」という

彼の直筆であった。

 当時在日朝鮮人の数は50万人とも80万人

ともいわれ、革命勢力になるおそれがあ

った。吉田総理がその後言っていた

ことは、中ソは必ず仲違いする

ということであった。

 その頃中国は祖国ソ連といってスターリン

を尊敬していたが、元来中ソは仲が悪く、

必ずや対立するであろうというのであった。

 果たせるかな、中ソは後年対立し、こと

ごとにいがみ合うことになる。われわれ

は吉田総理の見識に、恐れ入ったものである。

 緒方竹虎の風圧。小泉信三に匹敵する風格 。

私自身が関わるものを若干記しておこう。

 緒方竹虎氏が公職追放を解除され、政治の

表舞台に復帰したのは、1952(昭和27)

年の10月30日(木)、吉田内閣の

官房長官としてである。

 緒方氏の風貌にふれた。悠揚迫らざる

大人物とお見受けした。

 いうことは平易だが、その言葉には重みが

あった。私はいっぺんに緒方ファンになった。

 私のようなチンピラ事務官を相手にしても

英国風紳士の相好を崩さず、悠然たる

面持ちに深く打たれた。

 生涯出会った人の中でも、皇太子明仁親王

(現上皇)の教育の責任者を務めた経済学

者の小泉信三氏に匹敵し、あるいはそれ

以上の風圧を感じたのである。

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 今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

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