引き受ければ引き受けるほど実力がつくはずだ = 2-1 = 第1,118号

 相手が誰でも歯に衣着せず、時には

鉄拳で「道理」を通す。

 政治家に借りを作らず、馴れ合わず、

狡い奴は許さない―。

 父の痛快な教育論から、賭麻雀にあけ

くれた不良学生時代初めて語られる

戦後政治の舞台裏、福田赳夫、田中

角栄、中曽根康弘らの人物像まで、

小気味よいエピソードばかり。

 『坊っちゃん』も凌ぐ正義感が

心地よい、あっぱれ喧嘩人生。

 私にはどうも、暴力信仰が

抜けないところがある。

 自分を助けるのは最後は自分の腕力しか

ないと、経験上、確信するところがあ

って、息子が小学校を転校する時

には毎日のように、喧嘩のや

り方を教え込んだものだ。

 屋山の姓は九州・柳川の立花藩に発す

るが養子にきた父は生粋の薩摩

隼人で、郷里鹿児島の気風を

心から誇りにして愛した。

 鹿児島では男の子は、「泣こかい、飛ぼ

かい、泣くよか引っ飛べ」という

格言を教え込まれる。

 鹿児島人は人物を評価する時「あの男

は肚が据わっているかどうか」

を最大の尺度とする。

 父が鹿児島風の精神を教え込んで

くれたおかげなのか、私は自分

の度胸には自信がある。

 不思議なことだが、父が私に教えて

くれたのは喧嘩作法だけで、その

他のことで説教やら、文句を

いわれたことは一度もない。

 私は応接室でも居間でも酒席でも自由

に出入りすることを許されていた。

 その代り、父と私との間では入る時

には深く黙礼して挨拶し、大人の

話には一切口をはさまないと

いう堅い約束があった。

 私は喧嘩というのは男の子の成長に

とって不可欠のことだと思っている。

 少年の頃の喧嘩人生を振り返って、

そこで勇気とか瞬間の決断力、

度胸、敗けた時の口惜し

さを学んだと思う。

 通信社の編集局というのは想像を

絶して騒々しいところである。

 新人の仕事はまず、知事や市長の名前

をチェックし、それをデスク(次長)

に廻す仕事である。

 これほど面白くない仕事も珍しかった。

 人名簿にいちいち当たるのは面倒なの

で、知事四十七人、市長五百五十人、

ざっと六百人の名前を丸暗記した。

 すると面白いように仕事が早く済む。

 当時の社長は長谷川才次氏という言論

界の保守派の重鎮で、その言論の激

しさ、何物も恐れぬ勇気を私は

今でも尊敬している。

社長が、「君は何をやりたいのか」と

尋ねたから、「外国で仕事をして

みたいです」と答えた。

 特派員というのは当時、通信記者

の花形で憧れの的だった。

 そういうからくりがわかって、

私は二つのことを決心した。

 一つは頼まれたら、どんな原稿でも

二つ返事で引き受けることである。

 引き受ければ引き受ける

ほど実力がつくはずだ。

 要するに徹底的に使われ易い

人間になることだ。

 二つには絶対に締め切り

を守ることである。

 記者に必要なのはダンディズムである。

 ダンディズムは「男の美学」といわれ、

フランスが発祥の地だと思い込んで

きたが、イギリス(ザ・ボー)

だという説もある。

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今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝

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