情報のチャンネルは無数にあり.発想もマルチタイプである = 2-1 = 第1,019号

 岸信介は戦前、東京帝国大学法学部を

卒業して農商務省に入り、その後、

満州国政府に派遣されて植民

地経営に携わった。

 岸と長い間つきあいのあった政治家、

福家俊一はこういっている。

 「池田さんにしても佐藤さんにしても、

また角さんにしても、この人たちは

戦後の成り上がり者だった。

 岸さんの場合は、戦中、戦後を通じて

でき上がった巨大な土壌がある。

 産業界には商工省時代

からの人脈があった。

 岸さんが面倒を見たり、世話を

してきた人がたくさんいた。

 戦後になって官僚からポッと政治家

に成り上がった人たちとは、

実力も底力も違う。

 岸さんは角さんのように

直接、金には触らない。

 二人を比べると、賢さの

程度が違っていたね」

 昭和6年、商工省では吉野

信次が次官に就いた。

 岸は工務局工政課長を経て、昭和8年

暮れに官房の文書課長に転じた。

 省全体を取りまとめる一方、次官の

補佐役も務める中枢のポストである。

 商工省には議会提出の法案を事前に

チェックする法令審査委員会

という機関があった。

 委員長は文書課長の兼務である。

 岸は瞬時に問題の本質を見抜き、

その場で的確な指示を与えた。

 商工省では誰もが切れ味に舌を巻いた。

 そっ歯を剥き出しにして豪快に

笑い飛ばすのが岸の癖である。

 それでいて、仕事は完璧だった。

 「あの人にはかなわない。議論すると、

いつも白を黒と言いくるめられる」

 岸に問題を持ち込んで話をしていると、

いつのまにか丸め込まれてしまう

と省内で評判が立った。

 誰が議論を吹っかけても理路整然

と自説を展開して論破する。

 「向こうに行ったら実情を逐一、

教えてくれないか」

 岸は別れ際に言い添えて、商工省の

部下や後輩を何人も満州に送り込んだ。

 出向組が出張で東京に戻ると、

必ず会食の席を設けた。

 狙いは慰労や激励だけではない。

 満州の情勢を聞き出そうとした。

 岸は昭和11年、満州国政府に出向した。

 彼は東京にいたときから満州

の産業開発をめぐる情勢を

正確に把握していた。

 先に渡満した椎名らは、満鉄の調査部

と協力して5ヵ年計画の基礎データと

なる資源調査を大々的に進めた。

 調査結果は逐一、岸に報告された。

 先遣隊が調べ上げた基礎データを頭に

入れ、陸軍の一任も取り付けて、万全

の態勢を整えてから、岸は満州に

乗り込んできたのである。

 著者(塩田潮)は1946年、高知県吾川郡

伊野町に生まれる。慶応義塾大学

法学部政治学科卒業。

 雑誌編集者、雑誌記者などを経て、現在、

ノンフィクション作家・評論家。

 『霞が関が震えた日』(講談社文庫)で

第5回講談社ノンフィクション賞受賞

(本データはこの書籍が刊行された

当時に掲載されていたものです)

 塩田潮『昭和の怪物・岸信介の真実』

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今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝

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