情報や人脈を活用し秘密インテリジェンス機関を作り上げていった 第 1,212号

1949年、中国・山西省でまだ日本兵

達は戦っていた。彼らだけではない。

帰国した大本営参謀、軍人や児玉誉士夫

らは、「理想」の実現を諦めずに

戦い続けていたのである。

ある者はアメリカと手を結んで反共活動

に身を捧げ、ある者は日本軍復活のため

に奔走し、ある者は政界工作に突き進んだ。

その活動はいつしか、東アジア

全体へと波及していく。

CIA文書など発掘資料をふんだんに

使いながら描く、戦後の裏面史。

旧軍幹部の宇垣一成、河辺虎四郎、

有末精三、服部卓四郎。

彼らは戦後、宇垣のもとで秘密機関を

作り、戦後日本に新たな国防軍

を創ろうとしていた。

児玉誉士夫は、戦時中に児玉機関のトッ

プとして、海軍航空本部のために

タングステンなどの物資調達

に辣腕を振るった。

彼は戦後、物資調達によって蓄えた巨額

の資産から、鳩山一郎に自由党の創設

資金を提供し、自由党やそのあと

の自由民主党の領袖たちに大

きな影響力を及ぼした。

戦後、関東軍や支那派遣軍にいた高級

将校たちは、中国で長年付き合いが

あった親日的中国人はもちろん

のこと、国民党の幹部とも

心を通わせることができた。

国民党幹部の多くは日本の士官学校出身者

で、互いに先輩後輩や師弟関係にあった。

それに、アジアのためのアジア、第三極

としてのアジアを目指していたのは、

国民党の指導者の孫文も日本の

軍人も同じだった。

元陸軍中将土居明夫は、戦前日本最大の

対ソ連インテリジェンス機関であった、

ハルピン特務機関とその後継組織

の関東軍情報部のトップだった

ことがあり、日本きってのソ連通だ。

彼は終戦ののち、進んで国民党の国防部

の留用を受け入れ、対ソ連インテリ

ジェンスに携わった。

服部卓四郎は帰国後、復員局にいたとこ

ろをGHQのGー2トップのチャールズ・

ウィロビー准将に気に入られてGH

Qの歴史課に引き抜かれる。

ここで彼は、太平洋戦史を編纂すると

ともに対ソ連インテリジェンスと

対ソ連作戦立案を行った。

ウィロビーは、イタリア通でドイツ語も

できる有末精三に親しみを持ち、また

インテリジェンス将校としての

能力も高く評価していた。

ちなみにGHQの歴史課は、もともとは

太平洋戦史編纂のための部局だったが、

予算が潤沢だったので、次第に有末

をはじめとする日本人の元高級

将校らに、資金を与えて様々

なインテリジェンス活動

をさせるようになった。

復員業務も一段落すると、河辺と有末は、

G-2の資金援助の下に、この業務から

得た情報や人脈を活用しつつ、秘密

インテリジェンス機関を作り上げていった。

河辺は治安維持隊、有末は対外インテリ

ジェンス機関、服部は国防軍

を計画していた。

ウィロビーはこれらの機関が、復員業務

の機関から占領後の再軍備をにらんだ

秘密機関に変質してからも、

活動資金を与え続けた。

児玉は工作資金を得るため、さまざまな

物資の売買、密輸や密売も盛んに行った。

たとえば、緑産業や大公貿易といった

会社を立ち上げ、かつて扱っていた

もの、つまりタングステンやモリ

ブデンなどを売買するというものだ。

そのほかの密貿易にも多く関わった。

もともと彼は、物資・資金調達

と輸送を得意とした。

児玉は終戦時、児玉機関が保有する物資

の一部を隠匿していたので、それを売り

さばいて、当座の工作資金にあてていた。

物資の買い手は国民党や占領軍ばかり

ではなく、共産党軍、朝鮮、沖縄、

インドネシアにまで及んでいた。

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今回も最後までお読みくださり、

ありがとうございました。感謝!

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