情報伝達の早さに私は何度も驚いたものである 第 792 号

 陸軍中野学校は、日米開戦前夜の昭和十三年、

諜報・諜略などの秘密戦要員を養成する

目的でつくられた。

 卒業生たちは、大陸や東南アジアで諜報活動に

従事したが、終戦とともに組織は解体された。

 しかし、終戦後GHQに潜入を試みた者、自衛隊

調査学校や内閣調査室の創設に携わった者、そ

して戦後最大の未解決事件「下山事件」と

関わった者―関係者の肉声を丹念に拾い、

戦後日本社会に中野学校卒業生たちの

果たした役割を解明する力作ノンフィクション。

 中野学校の戦士は「謀略は誠なり」という

精神を固く守り、諜報戦士として誠を貫く

ことが肝要であると教えていた。

 私は元戦士たちに、中野学校の戦後

について問うてみた。

 一見すると、その風貌はみな好々爺である。

 だが、自らの戦史を語るものはほとんど

おらず、陸軍中野学校の遺訓ともいう

べき「黙して語らず」を今日

でも貫いている。

 内閣調査室に伝説を残した男。

 望月一郎は、特異な経歴を持つ

中野学校の卒業生である。

 彼は戦後、内閣調査室に就職して、日中国交

が回復する以前に単身中国に渡り、人民解放

軍の原爆実験成功の極秘情報を入手した。

 中野学校の卒業生も年々、鬼籍に

入る人が多くなってきた。

 しかし、中野学校OBの組織「中野校友会」の

人脈は創立以来、次代に脈々と受け継がれている。

 取材中に実感したのは、そのネット

ワークの強固さであった。

 と同時に、情報伝達の早さに私は

何度も驚いたものである。

 これも、中野学校の伝統なのかも知れない。

 中野学校卒業生には、マスコミの報道で有名な

ルバング島に留まった小野田さん、文部大臣を

務めた一橋さん、島根県知事を務めた恒松

さんが知られているところでしょうか。

 ところが残念ながら卒業生は皆、一様に口が

堅く、著者が意図した「何らかの諜報活動に

戦後も携わっていたのではないか」という

仮設は、ほとんど検証することが

出来なかったようだ。

 斎藤充功

  『諜報員たちの戦後:陸軍中野学校の真実』

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 今回も最後までお読みくださり、

        ありがとうございました。感謝!

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