成長のための門戸を切り拓くことがミッションのようであった 第 1,908 号

 中国共産党による言論統制の下、反日感情うず

まく中国で一人の日本人として発言を続け、大

学生たちとガチンコの討論を行い、アメリカ

ではハーバードの権威主義と戦う日々……。

 わたしは「三無状態」で中国に向かった。

 言葉が話せない、お金を持た

ない、誰も知らない。

 草の根コミュニケーションで学んだ中国語。

 三無状態からのスタートでサバイバルを展開

するために、僕に残された道は「中国語を徹

底的に鍛え上げること」を通じて、それ

を武器にすることだけだった。

 留学直後、SARSという伝染病で北京は大

混乱だった。大学もほとんど休講になった。

「ラッキー」僕は直感でそう思った。ほとんど

の日本人は帰国してしまったから、中国語

漬けの生活にするにはもってこいの

環境が自然に出来上がった。

 僕が中国語学習を始めて最初の3ヶ月という

時期の一日のスケジュールを公開したい。

SARSが流行っていたので、毎日

同じ生活をしていた。

 朝5時:起床。5時半:ランニング。

 6時半:シャワーを浴びながら、一日の

過ごし方をイメージ。

 7時:朝食後、中国語の問題集をやる。

 10時:外出、北京大西門のアイス屋のおば

ちゃんと雑談。おばちゃんからいろんな

言い回しを教わる。

 12時半:ランチ、そして中国語の本を読む。

 14時:おばちゃんの元に何気なく、

自然体で戻る。雑談再開。

 17時:北京大学に「人民日報」を取りに行く。

仲良くなった管理人さんと1時間ほど雑談。

 18時:夕食をとりながら、と人民日報とにら

めっこ。20時:辞書と格闘。

 23時:ラジオを聴きながら、寝る。

 僕にはとにかくお金がなかった。だから。

お金をかけないで中国語を習得する方法

を考えなければならなかった。

 一貫して取った戦法は、「現地住民との

草の根コミュニケーションをとことん

こなす」こと。

 ラジオと辞書。この2つは僕にとってもっとも

思い入れの強い「語学の枕」だ。

 ラジオも、まじめに聞いていたわけ

ではなく、聞き流していた。

 アイス売りのおばちゃんと毎日5時間くらい

話すわけだから、ネタ切れになるのが常態

だった。何を話そうか、話すべきか僕

なりに頭を抱えたこともあったが、

幸いおばちゃんが話のプロで、

これでもかこれでもかという

くらい話題が出てきて、ネタに

不自由することはそれほどなかった。

 大きな決断をする時ほど、

根拠なんてないものだ。

 ちなみに、北京大学の学生は本当によく勉強

する。優秀で、頭が切れる。期末試験の際

には、教科書を丸暗記するのは当たり前。

参考文献の内容を完璧に頭に入れる

なっていうのは常識だった。

 北京大学の学生たちはとにかく英語学習に死ぬ

気で取り組んでいた。卒業後欧米に留学して、

成長のための門戸を切り拓くことが

ミッションのようであった。

 実際、中国人たちは欧米や日本を含めた自由

民主主義社会で生きる市民と同じくらい、

いや、ある意味それ以上にメディア

リテラシーを備えていた。

 情報収集に対しても貪欲で、独自ルートで情報

を集めては、独自のチャンネルでクロスチェッ

クも怠らない。性悪説な社会でサバイバルを

展開する中国人は、インテリジェンスと

ネットワーキング力に長けていると

いうのが僕の基本的な見方である。

 加藤嘉一『たった独りの外交録』

  の詳細、amazon購入はこちら↓

   http://amzn.to/1Oaa8Rt

  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

スポンサードリンク

♥こちら噂の話題満載情報♥

ぜひ、いいね!を「ぽちっ」とお願いします

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください