戦争をしたら日本に勝ち目がないことは歴然としていた 第 705 号

 昭和初期の北樺太石油、満洲国建国時の油兆地調査、

そして南方油田。

 そこには確かに石油があったはずなのに、日本は

モノにできなかった。

 石油技術者の手記を読み込んで明かされる71年目

の真実、今に活かすべき教訓とは。

 一次エネルギー資源の供給を海外に求めなくては

ならない日本にとって、世界貿易が妨げられない

状態、つまりは世界が平和であることが

極めて重要だ。

 外交政策はこの認識に基づいて、国民の総意と

して立案のうえ実行されるべきである。

 それこそが国策である。

 そうはいっても、世界はいつも平和であると

いう楽観論に立つことはできない。

 やはり、時に「非常時」が起こることを

前提に織り込んで考えるべきである。

 石油開発が「ハイリスク・ハイリターン」

であり、ビジネスサイクルが非常に長い

点は、現在も変わりはない。

 石油、いやエネルギーに関しては、太平洋戦争

当時の日本を取り巻く基本骨格が、現代もなお

変わっていないという事実に驚かされる。

 日本は、昔も今も、石油を始めとする一次

エネルギー資源をほぼ持たない

「持たざる国」なのだ。

 そしてまた、非常時がいつ来るか、

わからない。

 昭和16年4月、米国との経済と戦力の比較

調査が行われた。

 新庄健吉陸軍主計大佐は、陸軍省軍事課長の

岩畔豪雄大佐と同じ船で渡米し、三井物産

ニューヨーク支店内に事務所を構えて

米国の経済力調査を行った。

 新庄は、陸軍経理学校、東京帝国大学経済学部

で学んだ経歴だった。

 新庄は公に入手可能な資料、統計などを駆使

して、米国経済力を分析し、およそ3ヶ月後

の7月中旬、報告書をまとめあげた。

 新庄は報告書の最後のまとめ

次のように記した。

 「日米両国の工業力の比率は、重工業に

おいて1対20。

 化学工業において1対3である。

 戦争がどのように進展するとしても、この差を

縮めることが不可能とすれば、少なくともこの

比率は常時維持されなければならない」

 「そのためには、戦争の全期間を通じて、米国の

損害を100%として日本側の損害は常に

5%以内に留めなければならない。

 日本側の損害が若しそれ以上に達すれば、1対20

ないし1対3の比率をもってする戦力の差は

絶望的に拡大する」

 ワシントンの日本大使館にいた岩畔は新庄報告

を読んで、直ちに帰国して関係部署に説明

することを約した。

 岩畔は7月31日にワシントンを立ち、

8月15日に横浜に上陸した。

 岩畔の『速記録』によると、説得してまわった

のは、陸軍参謀本部の部員以上全員、海軍省

および軍令部の主要な局部長以上、宮内省

首脳部、外務、大蔵の各大臣、企画院

総裁、陸海軍大臣、そして近衛総理などだった。

 だが、岩畔自身の言葉によれば、「ドイツ便乗論」

「精神力の過大評価」「天佑神助の空頼み」に

よって、戦争突入の決意を固めていた政府、

軍首脳の考えを変えることはできなかった。

 陸軍省が秘かに行った「秋丸機関」による敵味方

の経済抗戦力調査でも、参謀本部の指示に基づ

いて新庄大佐がアメリカで行った経済力

調査でも、内閣直属の総力戦研究所

によるシュミレーション結果でも、

戦争をしたら日本に勝ち目がないことは歴然としていた。

 統帥権を握る陸海軍と、軍事以外の行政すべてに

責任を持つ政府からなる大本営政府連絡会議の

メンバーたちも、その事実は知っていた。

岩瀬昇

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今回も最後までお読みくださり、ありがとう

            ございました。感謝!

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