戦争孤児たちを不憫に思い養育する 第 577 号

 東京の中野区にある「愛児の家」は、戦後

しばらくして、無名の主婦・石綿さたよ

さんによって設立されました。

 石綿さんは、戦争孤児たちを不憫に思い

自宅に引き取って養育するように

なります。

 娘の石綿裕さんにその頃の思い出を

語っていただきました。

───────「今日の注目の人」───

☆ 孤児たちの幸せのために生きる ☆

石綿 裕(「愛児の家」主任保育士)
     
───────────────────

──多い時には、どのくらいの孤児たちが

いたのですか。

 そうですね。100人以上が生活していた

でしょうか。運動会までやっていた

くらいですから。
  

──一軒家に100人ですか。  ええ(笑)。

夜寝る時なんか軍隊から払い下げの粗末な

お布団を一階と二階の広間にダーッと

並べるんです。あと小さい部屋

にもパラパラと。

 ただ、私たちは三人姉妹でしたので、そこは

母が配慮してくれて、女中さんの部屋

使わせてくれましたけどね。

 母はその頃から幼いお子さんと一緒に

寝ていました。

 いろいろな方から「よく我慢しましたね」

と言われますが、私はそれが当たり前

だと思っていました。

 でも、母は大変だったことでしょう。

 朝四時頃、誰にも気づかれないようにそっと起き

て、大きな鍋で皆の分の食事を作りました。

 ボランティアで手伝ってくださる方もいました

が、それでも重労働です。

 当時、駐留軍から配給になった安いトウモロコシ

の粉があって、母はそれに熱湯を注いでドロドロ

にして、ワカメか何かを入れて魚臭い代用醤油

を使って味つけをするんです。

 子供たちはそれを「でれん」とか「どろん」とか

呼んでいて(笑)、決しておいしいとは言えま

せんでしたけど、それで何とかひもじさを

凌いでいました

──心を開こうとしなかったり、集団生活に馴染め

なかったりする孤児もいたのではありませんか。

 そりゃあいますよ。黙って出て行っちゃう

子もいました。

 家のものを勝手に持ち出し上野に行って

売ってくる、なんていうのは日常茶飯事

 だけど、面白かったのは……

※石綿さんのお母さんは、なぜ孤児たちを

引き取って育てようと思うように

なったのでしょうか。

 そこには士族だったお祖父さまの

教えがありました

詳しくは最新号をお読みください。

 『致知』2017年3月号

        特集「艱難汝を玉にす」P50

今回も最後までお読みくださり、ありがとう

             ございました。感謝!

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