日本の戦略的な生き方への豊かなる示唆となるはずだ 第1,358号

 最先端の科学知識と広大な世界観を兼ね備え、

世界に通用する稀有な官僚として外交・内

政の最前線で日本近代化に貢献しなが

ら、幕末維新史において軽視され

てきた男。近代日本随一の国際人。

 御家人の子として江戸に生まれ育った榎本武揚

は、昌平坂学問所を卒業後、幕府が長崎

に設けた海軍伝習所に入った。

 当時の最新の知識や技術を身につけた榎本は、

その後のオランダ留学で知識ばかりでは

なく、西欧の考え方を体験した。

 帰国した榎本を待っていたのは、「大政奉還」

「王政復古」という体制転換であり、幕臣

榎本は、戊辰戦争の最後の戦いになっ

た箱館戦争で、「蝦夷共和国」の

総裁として五稜郭にこもった。

 その後、降伏・幽閉という失意の時代を経て

出獄した榎本は、北海道開拓使として明治

政府に入った。1874年には、初代の

駐露公使としてサンクトペテル

ブルグに赴き、外交官と

して樺太・千島交換条約の締結に尽力した。

 伊藤博文が最初の内閣を組閣すると、旧幕臣

ながら逓信大臣として入閣した。これ以降、

文部、外務、農商務大臣などの要職を歴任する。

 幕臣から明治政府の要人として生きた榎本を

貫いたのは、血眼になって領土の獲得に

しのぎを削る西欧列強のありように

触発された強烈な「国益意識」であったろう。

 榎本の卓抜した発想を支えたのは、事実を積み

上げていく実証主義である。伊能忠敬の内

弟子として測量を学んだ父武規の影響

もあるだろう。また昌平坂学問所

を卒業した時期に、小姓と

して蝦夷・樺太探検に加わった体験もある。

 ロシア公使から帰任するときにシベリアを45日

間かけて横断し、軍事、経済、民族などの

情報(インテリジェンス)を書き

付けた『シベリア日記』を

残している。

 榎本の『シベリア日記』は

外交官の必読書である。

 榎本が投げかけてくるものは、国際社会の現実を

冷静に見るリアリズムと事実に即したプラグマ

ティズムを基にした日本の戦略的な生き

方への豊かなる示唆となるはずだ。

 加藤寛『榎本武揚:近代日本の万能人』

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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