明日死ぬと分かっていてもするのが養生 第1,354号

≪五木寛之を唸らせた羽生選手の言葉≫

作家の五木寛之さんが、フィギアスケートの
羽生結弦選手のある言葉を取り上げられ、
そこに込められた思いに感嘆されています。

それはいったい、どんな言葉だったのでしょうか。

─────────────
 五木 寛之(作家)
   ×
 横田 南嶺(円覚寺管長)
─────────────

【五木】
それから、世の中が流転していく中では
次々と新しい才能も登場してきます。
最近では、例えばフィギュアスケートで
羽生結弦という非常に優秀な人が出てきて
人気を博しています。

その羽生選手が「努力はウソをつく。
でも無駄にはならない」と言っていました。

必ずしも報われるとは限らないけれども、
努力はすべきであるという含みを持った発言ですよね。
あの羽生選手でも、時にはやったことが
全部無駄だったという挫折もあるのかと思って、
この言葉はとても印象に残っているんです。

【横田】
あの若さでよくそういう言葉が出てくるものですね。
やっぱり一つの道を突き詰めていく人は違いますね。

【五木】
いや厳しいですよ、この発言は(笑)。

僕自身を顧みてみますと、幸運などというものは
ないといつも思っているんです。
ネガティブ・シンキングと思われるかもしれませんが(笑)、
人はどのみち百年もすれば土に還る。

人生なんて知れたものと、あまり過剰な期待をせずに
物事に取り組むところがあります。
壊れると分かった城でも築いていくようなね。
人生は修羅の巷で、四苦八苦が満ち満ちているんだから、
それが七苦、六苦に減っただけでもありがたいという

気持ちがあるんです。

【横田】
それは羽生選手の言葉にも通じるものがございますね。

【五木】
そうなんです、努力は必ずしも報われない。でもやらなければ、と。

ですから僕が日々実践している自分流の養生についても、
明日死ぬと分かっていてもするのが養生、というのがモットーなんです。

【横田】
なるほど、明日死ぬと分かっていてもするのが養生と。

【五木】
長生きをしようと思ってやるだけではなくて、
ただ好きだからやる、大事だと思うからやる。
石田三成が処刑される前に柿を勧められて、
腹を壊したくないからと断った話にも通ずるものがありますね。

修行というのはそういうものじゃないかと僕は思うんです。
これをやったらこんないいことがあるというふうに、
目の前にご褒美をぶら下げてやるものではないと思うんですが。

 『致知』2019年4月号

        特集「運と徳」P68

 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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