晋作は危機的状況に直面するとその才能を遺憾なく発揮した = 2-1 = 第 932 号

 著者は海原徹(うみはら・とおる) 

1936年山口県生まれ。

 京都大学卒。京都大学助教授、同大学

教授を経て、1999年京都大学停年

退官、名誉教授。

 前京都学園大学学長。教育学博士。

著書に、『明治維新と教育』『吉

田松陰と松下村塾』『松下村塾

の人びと』『松下村塾の明治

維新』『江戸の旅人吉田

松陰』『吉田松陰』

『月性』『エピ

ソードでつづる吉田松陰』(以上、

ミネルヴァ書房)ほか多数。

 しばしば進退を共にした伊藤博文が、

その墓碑銘に、「動けば雷電の如く、

発すれば風雨の如く衆目駭然、あ

えて正視するなき」と書き起こ

したように、彼に出会うすべ

ての人々が茫然とし驚き

呆れた、その疾風迅雷

の行動力をとりわけ

強調したのは、

晋作の晋作たるゆえんが何であるかを、

誰よりも知っていたからであろう。

 1854年、16歳で江戸出府してから

没年まで、わずか13年の短期間に、

実に4度の脱藩を繰り返した

アウトローぶりはお見事だ。

 それ以上に、馬関決起のクーデターに

見られるような、百万人といえども

我往かん的な勇猛果敢の決断力、

いかなる困難や障害があって

も断固として成し遂げる

実行力は、そのすこ

ぶる派手で華やか

な出処進退と

あいまち、

圧倒的な支持で迎えられ、世俗的な喝采

につながったことは、言うまでもない。

 27年の短い生涯を通じ、親たちの言い

付けを頭から無視し、事々に反発した

かに見える晋作であるが、4度の

脱藩行のように何か大きな

問題を起こすたびに、

必ず謝罪の言葉を列ね、

親不孝を詫びている。

 ともかく晋作は一所懸命謝りながら、い

つも親の顔に泥を塗ることを敢えてした。

 師の吉田松陰は、生涯不犯といわ

れるように、謹厳実直そのもの

であり、遊里に出入りする

ことなど一度もなかった。

 しかし松下村塾の人びとは、まったく

逆に、そうした遊びの世界に何の抵抗

もなく頻繁に出入りした。

 この時代の若者らしく、何か事がある

たびに、酒を酌み交わして気炎を挙げ、

芸者を呼んでどんちゃん騒ぎをする

のが常だった。

 頑愚や無頼の性格は、平時では

単なる乱暴者や無法者でしか

なく、一向に目立たない。

 高杉家の後継という以外、ほとんど

誰も知らない一人の若サムライで

しかないが、同じ彼が、馬関

攘夷戦のような一旦緩急

ある非常時になると、

にわかに注目を集め真価を発揮した。

 海原徹『高杉晋作、動けば

          雷電のごとく』

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今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝

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