機動的な軍事力をもつ騎馬遊牧民 第1,369号

2019/04/11 (木) 13:00

 馬は、人間社会のなかで、多種多様な役割を担わ

されてきた。太古には狩猟の対象になり、やが

て車を引き、人を乗せ、人間の世界に深く

入りこんだ。人が馬を乗りこなさなか

ったら、歴史はもっと緩やかに流

れていただろう。戦争、交易、

世界帝国…、馬から歴史

を捉え直す。JRA賞馬事文化賞受賞作。

 チンギスハン死後、その子孫たちは、ユーラ

シアの東へ西へと征服活動を繰り広げた。

 ヨーロッパ人にとって、モンゴルはことの

ほか残虐な野蛮人という印象が強い。

 とくに、1241年、ワールシュタットの戦いで

ドイツとポーランドの連合軍がモンゴル軍

に敗れたことで、恐怖は頂点に達した。

 ワールシュタット(死体の地)という名その

ものにもその痕跡があるが、ヨーロッパ人

の恐怖を物語る根拠には事欠かない。

 モンゴル帝国の支配を「タタールの平和」と

呼ぶことがある。「タタールの平和」のも

とで、ヨーロッパの中国を結ぶシルク

ロードの往来がふたたび活発にな

ったことは否定できない。

 そもそもチンギスハンは、なぜ征西に乗り出した

のだろうか。機動的な軍事力をもつ騎馬遊牧民

は、もともとオアシス国家群やそこを往来

する隊商ともちつもたれつの関係にあ

った。現代風にいえば、モンゴル

軍は商業資本を保護しながら

その財政力を頼りとしたのである。

 その頃、西アジアを中心に広大な商業圏を誇って

いたのは、イスラム勢力であった。だから、そ

の商業圏を解体することによってこそ、大

覇権の土台となるモンゴル商業圏を

築くことができるのである。

 アレクサンドロス大王が歩いた手本どおりに、

重要な市場をおさえながら、それらを結ぶ

枢要な交易経路を進んでいったのである。

 中央ユーラシアの物流と通商は、もともとソグド

商業の伝統につらなるイスラム商人とトルコ

系のウイグル商人が担い手であった。

 モンゴルのめざましい軍事拡張の裏には、これら

二群の国際商人団がひかえていた。彼らは、情

報の収集やら資金や物資の調達やらに熟達

しており、財務や徴税を代行することもあった。

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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