歴史とは現在と過去との尽きざる対話である 第 966 号

 本能寺の変後、信長はどこへ消えたか―。

 光秀謀反にちらつく秀吉の陰謀。

 阿弥陀寺の僧侶が握る秘密の鍵。

 そして、主人公・太田牛一が最後に

つかんだ驚愕の事実とは。

 日本史最大の謎に挑んだ

本格歴史ミステリー。

 織田信長の祐筆(書記)である太田牛一

は、信長の要望で書類に側近たち一人

一人の率直な意見や、聴取した

下々の噂などを書き添えた。

 なにを書いても叱責される

ことはなかった。

 信長が、意外に現場の事情通

だった秘密がここにある。

 奇跡には必ず裏があるもの。

 歴史とは勝者の作り話に過ぎない。

 これは多年にわたって信長の一見鮮やか

な勝利の陰に、どれほどの陰湿な駆け

引きや陰謀があったかを、自分の

目で見てきた牛一の結論であった。

 牛一は、武家の史料は家の都合が第一で

あり、あてにならないと思った。

 視点を変えて、京の公家や、その出入り

の商人などの史料に注目した。

 商売柄、日記、記録の類はお手の物。

 牛一は老人の話にのめり込んだ。

 秀吉の父・弥右衛門は丹波者。

 秀吉の部下の蜂須賀、前野、

美濃の斎藤など皆ここの同衆。

 丹波者から見ると、美濃や尾張は、

黄金の花咲く肥沃な土地。

 彼らは美濃や尾張の平地を目指して、

溶け込みを図ろうとした。

 蜂須賀、前野、いずれもが信長の部下と

ならず、終生、羽柴の又者を通したのも、

その団結の現われだったと思われる。

 秀吉が、ただの農民の出では、あれほど

の乗馬の技、築城の知識、算勘の

速さは考えられぬ。

 為政者の信長にとって、農民の田植えや、

養蚕の開始時期の基準となる暦は、

他人事ではない。

 合戦の開始時期を決めたり命令を

発するためにも重大な関係がある。

 当時、困り果てた農民は、暦を信ぜず、

季節を示すために書き加えたのが、

「二十四節気」であるのも、

その現れである。

 推理に行き詰って、挫けそうになった時、

筆者を支えてくれたのは英国の歴史学者、

エドワード・H・カーの次の言葉である。

 「歴史とは、歴史家と事実との相互

作用の不断の過程であり、現在と

過去との尽きざる対話である」

 最後まで評価の難しかったのは、

織田信長その人であった。

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今回も最後までお読みくださり、

             ありがとうございました。感謝!

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