海峡を越えて活動する原動力にもなった 第 2,008 号

 「闇社会の帝王」と言われた戦後最大の

フィクサー・許永中の自叙伝。

 イトマン事件、石橋産業事件で逮捕される

など、数多くの経済事件でその名が取り

沙汰されてきた許が、自身の半生

を初めて綴った。

 日本と韓国を股にかけ、極道から巨大商社、

銀行、テレビ局まで、縦横無尽に駆け

抜けた許は、そのとき何と戦い、

何を願っていたのか。

 大阪で過ごした幼少期の原風景、日本が狂乱

したバブル時代に自ら関わった事件の表と裏、

政財界から暴力団までを貫くその人脈、2年

間の逃走生活、そして日韓の未来への

願い……その全てをここに明かす。

 「闇社会の帝王」等々いつの間にか数多の

枕詞が作られ、それらの言葉を伴って私が

語られるようになって久しい。在日同胞

の中には、これに嫌悪感を抱く人もあるだろう。

 しかし、戦後という時代に在日の歴史を重ね

て俯瞰したときに、その環境ゆえ表と裏の狭

間で生きざるを得なかった人々が確かにいた。

 私という物語の中には多くの在日同胞が登場

し、そして消えていく。その全てに、貧困

と差別が宿痾として絡み合う。

 「今にみていろぼくだって

見上げるほどの大木になってみせずに

おくものか」

→八波則吉作詞「しいの木とかしのみ」より

→子供の頃の教科書に載っていた。

 気が付けばこの言葉が心の中に焼き付き、

私の行動の原点になっていた。

 それは親孝行への想いにも繋がっていた。

 極貧のスラムの陽の射さぬ長屋ではなく、

朝日があたり、障子を開ければ縁側の

向こうに庭があり、小鳥の声が

聞こえる部屋で寝起きする。

 そんな穏やかな生活を、両親に送ら

せてあげたかった。

 その思いは後年、飛び込んだ川から大阪湾、

そして大海へと繋がるように、海峡を

越えて活動する原動力にもなった。

 激動の1960年代半ば。この頃の私は大学に

籍はあったものの、麻雀とパチンコと

ケンカに明け暮れていた。

 高校時代から近畿大学、大阪商業大学など、

ケンカ自慢の連中を相手にしてきたので、

大学の不良たちは入学早々に制圧した。

相手が極道であろうと関係ない。

 大阪梅田の東通り商店街界隈を縄張りに、

思うがまま、発熱し続ける身体を手当

たり次第にぶつけて生きていた頃だった。

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 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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