海苔業もまた.多層的な請負構造を持っていた 第 1,837 号

 著者は1974年生まれ。石川県金沢市出身。

忘れられてゆく近代史の現場に赴き「訊く

のではなく聞こえる瞬間を待つ」姿勢

踏査ノンフィクションにまとめる手法

は、アカデミズムの新しいアプロー

チとして海外でも注目され、また

国内では戦後世代の「民間学」

の担い手としても評価が高い。

 海外と日本を往来しながら息の長い学際的

なフィールドワークを続けている(本デー

タはこの書籍が刊行された当時に

掲載されていたものです)

 「絹の道」の起点である横浜・根岸から磯子

にかけては、本牧岬に始まり、小高い丘が

周囲を取り巻くようにしてある、海に

面した盆地に見えなくもない。

 青空市場も、理由なくして市が立ったわけ

ではなく、その市の傍らには、江戸幕末

から明治を超え、昭和まで、人の脈

を途切れることなくつないでき

た「絹の道」が通っていた。

 同時に、かってそこが密貿易の「陰の街道」

であったことにも思いをめぐらせれば、焼

け跡の青空市場という、公にしてどこか

すえた匂い漂う土地は、まさに「地

べた」と呼ぶにふさわしい場所で

あったのかもしれない。

 江戸前海苔を遠く関西にまで広め、その

物流を担ったのが諏訪商人である。

 諏訪の人々は、かって山陰からやってきた

海の民の子孫であると、江戸の海苔商人

のあいだで語り継がれてきた。

 浅草海苔の生産には、諏訪湖地方の

人々が深くかかわっていた。

 本家が漁場を仕切り、分家がそれに従い、

さらにその下に小作がいる。海苔業もま

た、多層的な請負構造を持っていた。

 現在でも、建設業や製造業においては、

こうした多層構造は変わらない。それ

ぞれの利益層で下へ向かうほど、そ

の利幅は小さくなり、実利が細々

としていく現実は容易に想像できる。

 信州、諏訪からつながる「海苔の道」が

果てしない輪廻に見えるのは、いつの世

も変わらない、海苔にかかわった商人

や生産者たちが呑んできた涙の道に

見えるからかもしれない。

 七尾和晃『幻の街道をゆく』

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 今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

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