激しい変化を肌で感じるためには.嵐の中に身をおく必要がある = 2-2 = 第 802 号

 2007年1月、年が明け、その日は

仕事始めだった。

 三木谷と穂坂は朝6時の飛行機で

羽田から福岡に向かった。

 機中で三木谷は分厚いファイルを

熱心に読んでいた。

 そこには楽天市場から楽天トラベル、検索サー

ビスのインフォシーク、楽天証券、ゴルフ場

予約サービスの楽天GORAまで、数十に

及ぶ事業の前週の損益状況がびっしり

書き込んであった。

 一橋大、興銀、ハーバードMBAという

三木谷のバックグランドと聞くと、理論

先行の頭でっかちな経営を想起するが、

三木谷のやり方はその対極にある。

 一つ一つの小さな数字を舐めるように見て、会

社が起きていることを隅々までチェックする。

 「どミクロ」の経営が三木谷の身上だ。

 その姿はJALを再建した京セラ創業者、

稲盛和夫のスタイルに似ている。

 小学6年生から10年間、アメリカで過ごした

百野研太郎(現楽天常務)は、トヨタに入社、

日本でクルマ作りをみっちり教え込まれた

後、英国の関連会社TMUKに配属され、

同社会長のアラン・ジョーンズの鞄持ちになった。

 英国紳士のアランは百野のアメリカ

英語を「それでは馬鹿だと思わ

れる」と徹底的に矯正した。

 百野がきれいなクイーンズ・イングリッ

シュを覚えたのは、アランのお陰だ。

 現楽天副社長の島田亨は、1987年に東海

大学を卒業し、リクルートに入社した。

 そこで宇野康秀らと出会い、89年に人材

派遣のインテリジェンスを創業する。

 2000年にインテリジェンスを辞め、幾つかの

会社を立ち上げつつ、様々なベンチャー企業

に投資をして悠々自適の生活を送っていた。

 2004年のある日、西麻布で飲んでいる

と、突然、島田の携帯電話が鳴った。

 三木谷からだった。

 起業家仲間として旧知の仲である島田

に、三木谷は単刀直入に言った。

 「島田さん、球団の社長をやってくれ

ませんか」

 40歳とはいえ、20代半ばからずっと経営者

をやっていた島田の手腕はベテラン社長並。

 三木谷の周りを固めるのは、島田のような

一騎当千のプロフェッショナルたちである。

 彼らはカネや働く場所に困って

楽天に来たわけではない。

 「たかが事務処理」をおろそかにしない。

 かつての楽天はM&Aを繰り返した副作用で、

財務・経理部門がガタガタになっていた。

 毎年、何社も買収を続けたため、一つの

会社の中で様々な方言が飛び交い、

収拾がつかなくなっていった。

 「たかが事務処理」と軽く見て、この状況

を放置すると、やがて会社の中で何が起

こっているかがわからなくなり、

組織は制御不能になる。

 管理部門の強化が必要だった。

 興銀時代に事務処理の大切さを叩き込まれた

三木谷は、楽天が迎えた「内なる危機」を

見逃さず、すぐさま「プロジェクトV」

という取り組みを始めた。

 とにかく起業家はビジョンやテクノロジー

に走り、エグゼキューション(実務)を

おろそかにしがちだが、元銀行員の

三木谷は廣瀬のような実務家

を重用し、優れて実務的

な経営をする。

 大西康之

  『ファーストペンギン、楽天。

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 今回も最後までお読みくださり、

                      ありがとうございました。感謝!

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