父との再会を胸に.息子は逞しく生き抜くだろう = 2-2 = 第1,465号

 しばらくして全員の焼香が終わると、
 進行係の人がマイクでボソリと「弔辞」とつぶやいた。
 名前は呼ばれなかったが、
 前列の中央に座っていた高校生らしい男の子が立った。
 
 すぐに故人の長男であることが分かった。
 私には、彼の後ろ姿しか見えないが、
 手櫛でかき上げたような黒い髪はばさついている。

 高校の制服らしき白い半袖シャツと
 黒い学生ズボンに身を包み、白いベルトを締めていた。

 彼はマイクを手にすると故人の遺影に一歩近づいた。

 「きのう……」。

 
 言いかけて声を詰まらせ、
 気を取り直してポツリと語り始めた。

 
 「きのうサッカーの試合があった。見ていてくれたかなぁ」。

 
 少し間をおいて、

 
 「もちろん勝ったよ」。

 二十八日が葬式であったら、
 彼は試合には出られなかった。

 司法解剖で日程が一日ずれたので出場できたのである。

 悲しみに耐えて、父に対するせめてもの供養だとの思いが、
「もちろん勝ったよ」の言葉の中に込められていたように思えた。

「もう庭を掃除している姿も見られないんだね、
 犬と散歩している姿も見られないんだね」

 後ろ姿は毅然としていた。
 淋しさや悲しみをそのまま父に語りかけている。

「もうおいしい料理を作ってくれることも、
 俺のベッドで眠り込んでいることも、もうないんだね……」

 あたかもそこにいる人に話すように、

「今度は八月二十七日に試合があるから、上から見ていてね」

 その場にいた弔問客は胸を詰まらせ、ハンカチで涙を拭っていた。

「小さい時キャッチボールをしたね。
 ノックで五本捕れたら五百円とか、
 十本捕れたら千円とか言っていたね。
 
 二十歳になったら『一緒に酒を飲もう』って言ってたのに、
 まだ三年半もある。
 クソ親父と思ったこともあったけど、大好きだった」

 涙声になりながらも、ひと言、ひと言、
 ハッキリと父に語りかけていた。

「本当におつかれさま、ありがとう。
 俺がそっちに行くまで待っててね。さようなら」

 息子の弔辞は終わった。

 父との再会を胸に、息子は逞しく生き抜くだろう。

本日は、『致知』2004年11月号より、
井坂晃(ケミコート名誉会長)の
「致知随想」をお届けいたしました。

※月刊『致知』には、毎号、
 心の琴線に触れる記事が満載です。

 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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