父は.わりとおしゃれな人だった 第1,688号

 戦争に負けて、外交で勝った歴史がある―。

終戦後、吉田茂は口癖のようにそう語った。

そして、歴代4位の在任期間を誇る稀代

の指導者となった。欧州や中国に赴

いた外交官時代。米国との開戦阻

止に動いた戦前。サンフランシ

スコ講和条約、バカヤロー解散…と、

信念を押し通した首相時代。官僚、政治家、

父親。全ての吉田茂に最も近くで接した

娘が語る「ワンマン宰相」の素顔。

 若い頃から父の遊びにはすいぶん年季が入って

いたようだった。娘の私からみても父は芸者衆

にたいへんモテていた。どうしてもてるのか、

わからないが、父のお座敷にきたがる芸者

さんがいつもたくさんいた。これが父の

不思議なところで、愛想よくするわけ

でもないのに、身の回りにいる人

たちに妙に好かれていた。

 海外に出ていても日本にいても、父は家で働い

てくれている人たちにひじょうに好かれていた。

 この点について、母がしょっちゅうこぼして

いたのは、「私のほうが、よっぽど優しくし

て、みんなのことをいろいろと考えてあげ

ているのに、なんでパパにばっかし、み

んなつくのだろう」ということでした。

 どうしてかしらといつも思っていたが、

やっぱり、父という人間が温かかった

からなのかなという気がする。

 それと、父は人になにかをしてもらうと、必

ず「ありがとう」といっていた。お茶を入れ

てもらっても、どんなに小さなことでも、

人から何かをしてもらうと必ず「あり

がとう」とお礼をいっていた。ドア

を開けてもらっても、必ず「あり

がとう」といって出ていっていた。

 自分の愚痴を絶対に人には話さない、人が勝手

に察してくれるのならよくても、自分からは泣

き言めいたことをけっしていわないのが父だった。

 私は、九州の飯塚で炭鉱事業を行っていた麻生

家の太賀吉の嫁となった。お嫁にいってはじめ

て吉田の家に里帰りしたときに、お小遣いを

ちょうだいといったところ、「太賀吉は

くれないのか。そうか、そうか」と、

それはうれしそうな顔をしていた。

あんまりおかしかったので、そ

の話を主人にしたら、「恥を

かかせるんじゃない」と、

目が飛び出るほど叱られました。

 父、吉田が高知で選挙に出るべく、応援に

いった。父は、無愛想で、スピーチが苦手

なため、演説のお鉢が私に回ってきた。

 人前で話をしたこともなかったので、お断り

していたが、原稿を読むだけでいいからと

いわれ、断れなかった。原稿は、父を

ほめて歯の浮くようなことばかり

書いてあった。途中でばかばか

しくなり、原稿を読むのを

やめ、「父はつむじまがりの

頑固者だという定評がありますけれ

ども、あなたがたもやっぱりつむじまが

りで頑固でいらっしゃるんでしょうから、同病

相哀れんで一票投票してください」といった

ところ、会場が大笑いになった。

 自分で財布を持って歩かなかっただけでは

なく、父はお金というものに対して信じら

れないほど無頓着だった。もう時効です

からお話してもいいかと思いますが、

父の個人的な政治資金は麻生家か

ら注ぎ込んでいたものだった。

 父にお金をつぎ込んでいた麻生のほうにしても、

女房の父親だからということを越えて、吉田茂

という人物に惚れこんだために援助を惜しま

なかったようなところがあった。

 父は、わりとおしゃれな人だった。政界を引退

して、80を越してからもいつも身だし

なみには気を遣っていた。

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 今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

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