物事を理解する最も早道であることを角栄は知っていた 第1,514号

 人たらし、人間ブルドーザー、闇将軍など、

その人となりを描いた作品は数多あるが、

政治家・政策家としての角栄の本質を

描いた作品は極めて少ない。

 本書は、エネルギー立国により日本を真の意味

で独立させようとした角栄の真意、外交の真髄

を多くのエピソードから描出する。この国の

行方を真剣に考えた政治家の知られざる

素顔を浮き彫りにする。

 田中角栄の奇しき軌跡を通産大臣と首相の2期

にわたって秘書官を務めた小長啓一の証言

を中心にしながら紹介していく。

 小長は1953年、岡山大学卒業後、通商産業省

に入省、1970年に企業局立地指導課長に就任。

1971年に田中角栄通産大臣の秘書官、翌72

年から、田中首相秘書官を務めた。

 その後、1982年産業政策局長、84年通産事務

次官を経て退官。1991年にアラビア石油社長

となった。頂点に上り詰めた角栄の全盛期、

一挙手一投足を至近距離からつぶさに

見てきた生き証人だ。

 「天才。あれは確かに天才だった」通商産業省

の元事務次官、小長啓一は田中角栄の

ことを今、そう思う。

 角栄が小長に最初に腕力を見せつけたのは、

日米繊維交渉が大詰めを迎えた時だった。

忘れもしないそのやり取り。

それはこうだった。

 「問題は何だ?」と角栄が問うと、「予算です。

お金がかかり過ぎます」と通産官僚が答える。

 「金?それだけか?」不意を突かれた官僚が

「はい」としか言えずにいると、「よし、

分かった。俺が話をつける」

 通産大臣だった角栄は、執務室に集まった通産

省の幹部たちに二言確認した。そして決断し、

小長にすぐに総理に電話をつなぐよう指示

した。その瞬間、日米繊維交渉は実質

的に決着した。1971年10月のこと

だ。角栄が通産大臣に就任して

たった3か月しかたっていない。

 それなのに8年もの長い間、迷走し続けてきた

日米繊維交渉はあっさりと落としどころにた

どり着いた。「恐ろしく鮮やかだった」

 意外かもしれないが角栄は聞き上手でもある。

分からないことは知ったふりをせず「分から

ない」と正直に言う。実はこれが物事を

理解する最も早道であることを角栄は知っていた。

 国際問題など利害関係者が多く複雑な話は

時間をかけてじっくり聞く。きちんと

理解をしたうえで判断を下した。

 前野雅弥『田中角栄のふろしき。

         首相秘書官の証言』

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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