自分で考えることの大切さと英国の紳士道を学び人間力を獲得した= 2-1 =第 519号

 今の日本人に足りないもの、それは次郎のような

圧倒的な「人間力」である――終戦後、吉田茂の

側近として力を発揮し影から日本を支えた白洲

次郎は、その容姿やライフスタイルから「カッコ

イイ」男として人を惹きつけてやまない。

 著者の大ヒットとなった前作により、多くの日本

人の憧れとして記憶された次郎の姿が、丹念な

取材で発掘された新たなエピソードによって、

さらに深く魅力的に、鮮明に浮かび上がる。

 戦前に英国ケンブリッジへ留学。 

 英国紳士のエレガントさと武士(もののふ)の魂

とを併せ持った彼は、日本の早期独立と経済

復興に道をつけた。

 世間の常識に流されず、自分なりの確固たる

美学を持って生きた熱い男

 彼が今、レジェンドとなって、われわれの前に

再び蘇る。

 次郎は敗戦という我が国最大の危機に直面し、

終戦連絡中央事務局次長という要職に就いて

戦後の復興に力を尽くすことになる。

 「逃げないこと」「どれだけ屈辱をなめようが

結果を出すこと」それが彼の「プリンシプル」

(原理原則)となっていくのである。

 次郎はケンブリッジ大学を卒業。

 卒業論文に「エリザベス一世の農業

政策」を選んだ。

 その後、中世史を本格的に勉強すべく

大学院へと進んだ。

 後年、息子たちに中世スウェーデンの名君で

「北方の獅子」と呼ばれたグスタフ二世・

アドルフの話をよくした。

 グスタフ二世は波乱の生涯を送った国王である。

 次郎はグスタフ二世に関するケンブリッジの

教授の講義内容を暗記していたという。

 まるで吟遊詩人の語る叙事詩のような彼のドラマ

チックな人生にあこがれていたのだろう。

 次郎の人生にケンブリッジ大学が

果たした役割は大きい。

 自分で考えることの大切さと英国の紳士道を学び、

彼同様の人間力をもつ友人を獲得していった。

 次郎の父、文平は青年期海外に雄飛し、壮年期は

事業で一世を風靡し、一敗地にまみれはしたもの

の晩年は悠々自適の時間を過ごして、誰にも

迷惑をかけずに世を去っていった。

 次郎はケンブリッジ時代の友人から頼まれ、

セール・フレーザー商会の取締役日本

支配人に就任する。

 待遇が破格だった。月給が500円。

 東京府知事の月給が450円だった時代である。

 リストラを進めるためには財務諸表を読む

能力が必要だと感じた彼は、会社が引けて

から神田の村田簿記に通った。

 その後、ある大実業家との出会いによって、

彼はビジネスマンとしてさらに大きな

飛躍を遂げることになる。

 日産コンツェルンの鮎川義介である。

 次郎は、その後35歳で日本水産の取締役となる。

 貿易実務を学び海外の資本家たちとコネクションを

持ち、何より結果を出すことに執着するビジネス

マインドを身につけられたことは、

彼の大きな財産となった。

 北康利

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 今回も最後までお読みくださり、ありがとう

             ございました。感謝!

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