若い頃からの心の訓練の積み重ねが生き抜く為の姿勢を決める 第 937 号

 人間として生まれた以上、「老い」は

誰もが直面することになる問題です。

 もし、体が思うように動かせなくなっ

たり、寝たきりになったような時、そ

の人にできること、人に喜ばれる

ことはないのでしょうか。

 シスターの鈴木秀子さんは「神は人生

の最後にいちばんよい仕事を残して

くださる」といいます。

 『致知』3月号の鈴木さんの連載は老い

を充実させるヒントに満ちた内容です。

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  鈴木 秀子(国際コミュニオン

          学会名誉会長)

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 人間には誰かが喜ぶことをしたいと

いう神性が備えられています。

 では、体を動かすことすらままならなく

なった状態では、誰かに喜びを与える

ことはできないのでしょうか。

 そうではありません。

 手足は動かせなくても温かい感謝の言

葉をかけてあげたり、笑顔で接して

あげたりすることはできます。

 それすらできなくなったとしても、頭

さえしっかりしていれば誰かのために

祈ることはできるはずです。

 以前、本欄で紹介した、上智大学学長を

務めたヘルマン・ホイヴェルス神父の

「最上のわざ」という詩の一部を

改めて味わってみましょう。

 老いの重荷は神の賜物。

 古びた心に、これで最後の

 みがきをかける。

 まことのふるさとへ行くために─。

 おのれをこの世につなぐくさりを少し

 ずつはずしていくのは、真に

 えらい仕事|。

 こうして何もできなくなれば、それを

 けんそんに承諾するのだ。

 神は最後にいちばんよい仕事を

 残してくださる。

 それは祈りだ|。

 手は何もできない。けれども最後

 まで合掌できる。

 愛するすべての人のうえに、神の

 恵みを求めるために─。

 すべてをなし終えたら、臨終の

 床に神の声をきくだろう。

 「来よ、わが友よ、われ

 なんじを見捨てじ」と|。

 子や孫が喜んでくれる何かができること

は、年を取ってからのささやかな喜びです。

 しかし、その喜びすら取り去られて

しまう時がやってきます。

 絶望に打ちのめされそうになる中、神様

が残してくださった「いちばんよい仕事」、

それが「祈り」だとホイヴェルス

神父は言うのです。

 先年亡くなった渡部昇一先生は敬虔な

クリスチャンでしたが、病の苦しみに

あっても、自分の苦しみが他の誰

かの幸せの種になるよう祈り

続けられました。

 他の幸せのために苦しみを

捧げられたのです。

 若い頃から修養と信仰に生きてこられた

からこその先生の神々しい姿でした。

 「あなたの若き日に、あなたの造り主

を覚えよ。悪しき日がきたり、年が

寄って『わたしにはなんの楽しみ

もない』と言うようにならない

前に」という『旧約聖書』

の言葉があります。

 老いは一気に来ることはありません。

 若い頃からの心の訓練の積み重ねが、

老いにどう向き合えるか、その

姿勢を決めるのです。

『致知』  2018年3月号【最新号】

            連載 「人生を照らす言葉」P114

今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

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