共に喜び合える社会に生きる (その2) 第 81 号

                                     ( 前号からの続きです )

しかし、こうした他を無視して肥大化したものは、巨大になり高度発展を

すればするほど、ちょうど高く積み上げたモザイクや、高所にかけた

梯子を登りきった人は、土台が揺らぐとひとたまりもなく、落下する

ように崩壊を早めます。

そうした危機を乗り切るためには、常に自分を成り立たせている外部の

異質なものとの、共存共栄を図る必要がありましょう。

 かって松下電器(パナソニック)の創業者である松下幸之助氏(1894-1989)

 は、「企業は人なり」との信念のもとに次のように語っています。

 企業というものは、どんな業種であれ、世の人々の求めがあればこそ成り

 立っている。

 つまり、企業は、世間の求めに応じて世の中の人々に役立つべく存在して

 いる、公の機関であると考えられる。おまけに企業は、天下の土地、

 天下の人、天下の物を使っているのである。

 経営者、責任者は常にこの企業は公のもの、社会のためにあるものと

 いう考え方に立たねばならないと思う。自分が興した企業であったに

 しても、決して”私の企業”ではないのである。

 そのような認識に立つなら企業の活動にあたって人を使うことも私事

 ではなく公事である。

 自分一個の都合、自分一個の利益のために人を使っているのではなく、

 世の中により役に立つために人に協力してもらっているのだという事に

 なろう。

こうした考え方は仏教で説く「三輪清浄」(さんりんしょうじょう)に似て

います。すなわち、三輪とは、施す人(能施)(のうせ)と、

施される人(所施)(しょせ)と、その間に介在する施すもの(施物)(せぶつ)

三者が、共に喜び合う状態になった時、施すことの意義がまっとうされ、

お互いが生かされる、というのです。

これを企業に置き換えるとするならば、生産者や商人などが生産物を消費者

に売る時に、企業体が粗悪品を一方的に消費者に売りつけて、儲けただけ

ではだめで、消費者が必要なものを買って喜び購買品が有効に使われ

それによって売り主も儲かって喜ぶという、

三者が共に喜び合うのでなければ、本当の経済行為にならないことを

意味しています。

  こうした共生の思想を、かっての東京、芝の増上寺(浄土宗大本山)

  第82世法主・椎尾弁匡(しいおべんきょう)博士(1876-1971)は、

  「こころ生き 身生き 事生き 物も生き 人みな生きる とも生きの里」

  と、詠んでいます。

 極楽・浄土という世界は、なにもあの世にあるのではなく、この世の現実

 世界を、お互いが騙し合いの搾取や犠牲の社会ではなく、共に喜び合える

 ようなところにすることだ、というのです。

私達は、取り巻く自然的、人為的環境の中にあって生かされつつ生きている

事実にいち早く目覚め、お互いが助け合って共に幸せになれるよう、感謝

しながら謙虚に生きるべきでしょう。

                    ( 仏教伝道協会 みちしるべより )

   今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。 感謝!

スポンサードリンク

♥こちら噂の話題満載情報♥

ぜひ、いいね!を「ぽちっ」とお願いします

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)