龍馬の金策日記/維新の資金をいかにつくったか 第 158 号

33歳の若さでこの世を去った竜馬は、夢を実現するために様々な

知恵と行動力を発揮した。だがその一生は、お金に苦労のし続け

だった。どうやって竜馬は資金作りをしたのか? その謎を原資料

から徹底的に追求する。

・坂本龍馬は、他の志士にはない、独創的な方法論を持っていた。

西洋船を購入し、貿易や運輸で資金を稼ぎ、それを政治活動費用に

あてようというのは、他の名だたる志士にはあまり見られないもの

である。

・しかし実はこのアイデアは龍馬の独創ではない。若狭藩の脱藩

浪士梅田雲浜は、1856年ごろから、廻船問屋などの商人と

結託して、各地の産物の交易に一役買うことで、商人から活動資金

を得るということを始めている。

・各地を遊説する志士活動は、各地の産物情報を入手しやすく、

副業として交易の手伝いをすることはもってこいだったのだ。

梅田雲浜以来、脱藩浪士が商人の後ろ盾を得て、遊説とともに

交易活動を行うことは、しばしば行われてきたのだった。

・亀山社中、海援隊などで行った龍馬の交易活動は、先人の

アイデアをよりスケールアップして実現させた、ということが

いえる。そして龍馬の活動アイデアに、もっとも強いインスピレー

ションを与えたのは、勝海舟だといえる。

・龍馬の生涯は、その輝かしい業績と同時に、数多くのトラブルや

困難続きだった。普通の人が一生に一度遭遇するかどうか、という

事件や事故に、たった3,4年のうちに、何度も何度も巻き込まれて

いる。私は、龍馬の先見性や発想のユニークさよりも、その前向き

さに感銘を受ける。

・普通の人だったら、1年、2年ふさぎこんでもおかしくないような

トラブルの連続。そのトラブルとトラブルの間に、大きな仕事を

やってのけるのだ。龍馬が衆人に比してもっとも優れていた面と

いうのは、「決して諦めないこと」だったのではないか。

・幕末の志士たちの活動には、侠商といわれる商人たちの支えが

あったということは、よく知られている。たとえば、明治維新に

大きな役割を果たした長州藩の奇兵隊は、下関の白石正一郎という

廻船業商人が、スポンサーとなって発足した。

・商人たちが志士に肩入れした理由は、だいたい2つあったようだ。

一つは、西洋の動向は、武士商人を問わず知識階級にとって共通の

不安材料だったということ。そして志士たちの活動に期待した。

この国をなんとかしなくてはというのが、知識階級にとって共通の

思いだったようだ。

・もう一つは、志士たちは全国を駆け回るものなので、志士たちを

使って各地の情報を掴みたかったということである。商人にとって、

各地の情報は仕事上不可欠のものだった。

志士たちの情報網は、商業上とてもメリットがあるものだった。

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今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。 感謝!

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