組織の動きについて悩みがあり.それを解決するために進化 第 174 号

 ベトナム戦争において、陸軍、海軍、海兵隊、

空軍、そして沿岸警備隊まで、ほとんどあら

ゆる軍の各部門がインドシナに何らか

の任務を与えられていた。

 その大部分は1968年やテト攻勢以前に主たる

敵であったゲリラとかテロリストと闘うこと

に関しては、何の役にもたたなかった。

 それ以後に敵の大部分を占めるようになった

北ベトナム正規軍と戦闘を交えるにあたっ

ても、不適切な編成であったか、ただ

大きいだけの組織であった。

 しかし極度に官僚化された組織体系内では、

各軍とその下部機構のほとんどすべては、

特別戦費と戦時昇進とを公平に分け合

わなければならなかったのである。

 各軍にとっては、いかなる形にせよこの戦争

に参加することは、何らかの拡充を意味した。

 将校にとっては、ベトナムツアーは明らか

に、「経歴にハクをつける」ものであった。

 たとえそれがわずか6ヶ月で、戦闘から

遠く離れたものであったにしてもである。

 毎年海軍の予算検討のため、提督、文官、

議員たちが集まりはするが、海軍の戦略

についての全体質問は、わずか10分間程度だ。

 漫然と雑談のような形で、海軍の目的

とか、主要任務とか、運用方式とか

に話されるだけである。

 それに対して、支出の話となると、小さな

ものまで1個1個、微に入り細にわたっ

て何週間も費やして討議する。

 予算ゲーム。米議会で最も難解なものの

一つは、国防支出に関する論争である。

 毎年、議員、スポークスマン、ロビイスト、

議会顧問などが入り乱れ、予算の

獲得合戦が展開される。

 もし、これらの余分なエネルギーと英知を、

有効な戦略策定と国防機構の改編に向ける

ことができれば、真の改善が達成されよう。

 情報の過剰。ベトナム戦争を特徴づける

一面に、気違いじみた通信の量があった。

 

 人員過剰の司令部にいる高級将校が、

前線にある部隊にほんのささいな

決定まで介入したからである。

 もう一つの特徴として、膨大な情報

収集が行われたことがある。

 あまり多すぎて分析評価能力を超え、遂には

取捨選択すら数週間も後になって行われる、

という事態にまで至っている。

 シーザーは実際に彼の軍と行動をともにする

時は、兵と同じものを食べ、兵がテントに

寝られる場合はテント内に、毛布にくる

まって寝る場合は、彼もまた毛布だ

けで、兵と同じように寝た。

 これはシーザーの時代でも、すでに戦争に

おける指導者の古典的トリックとなっていた。

 部下の兵から献身を引き出す、

もっとも簡単な方法である。

 あらゆる軍隊において、愛国心をもつ将校な

ら、母国のためにこの手法を多用してきた。

 自己の職責に忠実で尊敬に値する将校

ならば、その存在を兵によりよく知ら

しめることが必要である。

 単なる士気向上だけの目的であったにして

も、大佐や将軍たちは、戦闘が行われて

いる場所で十分長い時間を過ごし、自

分たちも危険を兵と同様に引き受け

ているのだ、という印象を

与えなければならない。

 朝鮮動乱中、マッカーサー元帥は、おしも

おされもせぬ本当の最高司令官であったが、

それでも仁川上陸作戦時には、まだ北朝

鮮軍がいる最前線まで出かけていって、

その存在を全軍に知らしめ、部下を

把握する努力をしたのである。

彼は当時70歳であった。

 おそらくこうした行動はすべて虚栄のために

なされたのかもしれないが、彼自身の姿を

朝鮮に展開している全軍の前に、しかも

新聞のカメラマンを伴って現したこと

は、マッカーサーに対し戦争指導者

としての真の権威を与える結果をもたらした。

 彼は部下の兵と同じ危険を共有していた

から、部下にさらに大きな危険を冒す

ことを要求することができたのである。

 アメリカ国防総省の内部事情を

詳しく説明していて面白い。

 エドワード・ルトワック

  『ペンタゴン:国防総省、知られ

    ざる巨大機構の実体』

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。 感謝!

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