創造への意欲と.炭鉱に対する責任感と愛情 第 156 号

小谷正一(こたにまさかず1912~1992)を知ったのは、

馬場康夫(1954年生まれ)著『ディズニーランドが日本に来た!

「エンタメ」の夜明け 』(講談社文庫2013年)を読んだ時。

毎日新聞から、電通の社長・吉田秀雄(1903~1963)に請われて

電通に入社。その彼が、「当たる」ことを探求されている。

 これは「名プロデューサー」の小谷氏の唯一の著書。

・福島のハワイアンセンターは蜃気楼ではない。

炭塵にまみれた町に突然フラダンスの踊りがはしゃいだのは、

昨日今日の思いつきではなかった。

・センターのプランニングは5冊のノートに。

・4つの建物はそれぞれ2つのレストランハウス、観光ホテル、

7,000平方メートルの大ドームを持つ『ハワイアンセンター』

から成っている。

・ハワイアンセンターには、50メートルの温水プール、

ウォーター・シュート、子供用プールがあり、さらにプール

サイドには、東南アジアから移植した高さ15メートルのココ

椰子をはじめ、600種の熱帯植物群が南国の香りを漂わせている。

・椰子の木陰には、ハワイ原住民の建物を模した舞台が備え

付けられて、舞台を見下ろす位置には、世界各国の雰囲気を

味わえるスナック「ダイヤモンドハウス」が五層に積み重ねている。

・聞かされて驚いたのは、これらの建物がほとんど社長、中村豊

が一人で設計したものだということだ。中村は昭和2年、東大の

経済学部を卒業と同時に入社しているが、建築の専門ではない。

・かつて各国各地どこを視察して歩いても、そこの企業体の経営

内容はもちろん、建物や環境の細部にわたってびっしりメモして

歩き、さらに、アメリカや中南米などの見聞で想を練り上げ、

建築上の構想を固めたと述懐する。

・そして計画の仕上げには1週間、日光の山荘に一人

とじこもって、これらのメモとヒントをもとにプランニングを

大学ノート5冊にまとめあげたそうである。

・そのノートには、工事費用の積算も書き込まれていたという

から、エネルギーのたくましさには舌を巻く。

当時すでに62歳に達していたと聞いてはなおさらのことである。

・おそらく、内から噴き上げてくる創造への意欲と、炭鉱に対する

責任感と愛情とが、彼にスーパーマン的能力を発揮させたものであろう。

・私が感心したのは、ハワイアンセンターの場内が清潔なことである。

行楽地やレジャー施設がおしなべて、空き缶や屑だらけでみんなの顔を

しかめさせている当節、ここの掃除はいき届いたほうで、気持ちがいい。

・ディズニーランドでは、食堂の仕入れや、残飯処理の運搬車は地下に

そのための通路を設けて、お客さんの目にふれさせないように

気を配っている。

・アメリカのディズニーランドは22のアトラクションでスタートして、

現在は100に近く、プロダクションには百数十名のアイデアマンが

知恵の増改築に当っているという。

・数年前、それらのスタッフで、「プランナーとして幾つぐらいの

年齢の者が一番冴えているか?」と聞いてみた。しかし、

「ズバ抜けているのはただ一人、それは今もってウォルト・ディズニ

ーである」ときくのも野暮といった答えを受け取ったことがある。

・かつてウォルト・ディズニーは、まことに心憎いこんな言葉を

吐いたことがある。「ディズニーランドはいつまでも未完のままである」

それは、世界中のレジャー施設が噛みしめていい示唆に満ちている。

  小谷正一『当らん・当り・当る:喝采の実証』

          の詳細,amazon購入はこちら↓

                http://amzn.to/1pBguiY

 今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。 感謝!

スポンサードリンク

♥こちら噂の話題満載情報♥

ぜひ、いいね!を「ぽちっ」とお願いします

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)