人々の琴線に触れるエピソードにエネルギーがあふれる 第 196 号

 戦後、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめ

させ「日本一かっこいい男」との呼び名も高い「白洲次郎」

の生涯と偉業を数々の名言、名場面とともに振り返る

1冊です。

 戦後、吉田茂のブレーンとして中央政権にて活躍した

一方で、郊外にてモダンで洒落た田舎暮らしを続けたと

いう白洲。一体彼はどんな人生を送ってきたのか。

 白洲没後30年、そして戦後70年の節目である今年に、

歴史上最も魅力的な白洲の「ブレない生き方」

を見つめます。

・白洲次郎のセンスはいかに養われたのか。もとより

ケンブリッジ大学で過ごした9年間によって、国際感覚

が磨かれたのは確かだ。

・最初の仕事は、「ジャパン・アドバタイザー」という

英字新聞の記者。その後は、セールフレーザー商会という

貿易会社の取締役。

 そして日本食糧工業に移籍する。このころに貿易の実務

を学び、海外の資本家たちとの人脈を築けたことが、

彼の大きな財産となる。

・戦後、終戦連絡中央事務局での次郎の仕事は、矢継ぎ

早に繰り出されるGHQからの指令・難問に対して、

片っ端から処理していくというものであった。

 その交渉術の根幹を一言でいうなら、情報収集と布石の

技術と言っていいかもしれない。

・「一気にかたをつける」次郎の仕事に共通しているのは、

機を見る判断力と、やると決めたときの「速やかさ」である。

・「商工省から通商産業省の創設」という構想の内容は

一切他言無用。

 水面下で要所を押さえると、法律や役所内組織などの

細かい部分はすべて永山課長に任せた。

・東北電力会長となった次郎であるが、会長としても

一風変わっていた。

 次郎の執務室である会長室は東京の八重洲にあったが、

ひとたび、東北に向かうとその姿は本社のある仙台や

会議室ではなく、圧倒的に現場にあった。

・彼は現場好きで現場の人々を大切にする。人夫たちと

楽しそうに談笑し、夜はしばしば酒を酌み交わす姿が

見られた。

 現場の打ち上げなどがあると、役員を上座から蹴散らし、

「今日の主役は現場のみなさんであって、君たちじゃない」

と酌をして回ったという。

・戦略立案能力。強引な突破力の裏側にあるもの。確かに

次郎といえば強引な突破力に目が行きがちだが、

それはあっと驚く結果から来るものであって、本領は

そこにはない。

 実は緻密な計算と、それによる戦略立案能力が抜きん

出ているからだ。

・出処進退の美学。「難事業を完成させると、ご自分の

責任は終わったと、さっさと辞めて後継者に任せるという

信条は、見事でした」(永山)

・「金を儲けるのは一代でできる。金を失うのも一代で

できる。

だけど金の使い方を憶えるのは三代かかる」(白洲次郎)

・「僕は何も知らんよ。知っていたとしても何も喋らんよ。

僕はねえ、口が堅いからここまで生きてこられたんだ」

(ある記者への次郎の返答)

・戦後の敗戦処理にあたった当時の関係書類は全て燃やし、

黙して語らず。

 自らの過去も、自慢も、自己弁護も、アリバイも

その一切を主張せずに去っていった。

 それが白洲次郎という男の生き方だったのである。

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     今回も最後までお読みくださり、

            ありがとうございました。 感謝!

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