私たちは生かされつつ生きている 第 180 号

   心正しければ事(こと)正し

 この句は、「心水の如し。源(みなもと)清ければすなわち

流れ清し。心正しければ事正し」からとったもので、結果より

も動機を重視した生き方をすすめたものです。

 利潤を上げることを目的とする、世の多くの経済活動では、

手段はどうあれ、儲からなければ経営が成り立たないことから、

動機よりも実益を重視する、結果主義にならざるを得ないこと

になりましょう。

 こと経済の世界では、実益や実績が重視されて、それに携わる

個々人の動機という目に見えない部分は、無視されるか不問に

付されて、目に見える結果だけで、価値が測られる傾向に

あります。

 動機よりも結果を優先するとなれば、弱肉強食の自然淘汰に

よって、人間の価値は物量化されて強いもの勝となり、目に見え

ない不利な立場にある人々は、立つ瀬がなくなることでしょう。

 だからといって、従来のように「嘘をついてはいけない」とか

「他人に迷惑をかけてはいけない」とか「隣人の喜ぶようにせよ」

といった、個人的な良心や道徳律だけでは、世間を救えないことも

事実です。

 仏教の思想や実践は、もともと個人の解脱(げだつ)を目的とし、

その枠組みの中で、利他(りた)の精神である慈悲や布施などを、

他に及ぼすことを重視し、最初から人間社会とか環境世界を問題と

したわけではありません。

 しかし、今日のように地球の温暖化や生態系の破壊、資源の枯渇、

公害、動・植物の種の絶滅など、地球全体の危機的状況の中で、

すべての人間が、私達の環境世界の成立と保全に、共同で責任を

負っているといえるでしょう。

 この世界は、お互いが持ちつ持たれつの、相依相関の縁起の思想

に基づいて、すべての現象が生成発展をしており、どれ一つとして

孤立した存在ではありません。

 そうした中にあって「自分だけが」とか「人間だけが生き延びれば

よい」といった、自己中心的な考えや生き方はもはや許せない状況に

立たされています。

 地球上の人々は一つの家族であり、他国や他人の危機や災害を、対岸

の火として、安閑として傍観していることでは、済まされなくなって

います。

 しかし、仏教の思想を実現するために、同事同情の精神をどこまで

感ずるかという範囲や、責任をどこまで負うのか、といった問題は、

現時点においては、個別的かつ総合的に、判断すべきではないで

しょうか。

 以上のような仏教思想に基づく生き方は、自己中心的な動機や、結果

のいずれかを重視する微視的なものではなく、グロ-バルな視野のもとに、

自分の足許から周囲との関係改善を心がけるべきでしょう。

 それにはまず、私達は生かされつつ生きている、自分の存在に気づく

ことです。

  詩人の榎本栄一(えのもとえいいち)(1903-1998)さんは、次のよう

  な詩を詠んでいます。

     私の中  覗(のぞ)いたら  お恥ずかしいが

     だれよりも  自分が一番かわいいというおもい

     コソコソうごいている

 こうした気持ちがなくて、ただ目先の実益や、実績を上げることだけを

目的に生きてゆくとしたら、たとえ、それが実現できたとしても、

人生はむなしいものとなることでしょう。

                   ( 仏教伝道協会 みちしるべより )

         今回も最後までお読みくださり、ありがとう

                            ございました。 感謝!

九 州 方 向 に 祈 り を こ め て !!

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