周囲が自分を信じてくれる生き方をしていますか (2-2) 第 191 号

 救いを求める相手が見えなくなった結果、それを信用や

信頼のおけそうな人間に求めて、すべての問題が解決でき

ればそれに越したことはありませんが、時には裏切られて、

自分の心をズタズタに切り裂かれ、人間関係を台無しに

してしまったという話をよく耳にします。

 現代人にとって、もはや救ってくれる相手が、どこにも

いないとすれば、自分自身を信ずるより仕方がありません。

 しかし、はたして私たち自身が、信じるに足る存在である

かどうか、大いに疑問です。

 私たちが毎日、安心した生活をおくるには、こざかしい

自分を捨てて仏にまかせるべきだ、と鎌倉時代の道元禅師

(どうげんぜんじ)(曹洞宗の開祖・1253年寂)は次のように

述べています。

   ただわが身をも

   心をもはなちわすれて

   仏の家になげいれて

   仏のかたよりおこなわれて

   これにしたがいもてゆくとき

   力をもいれず

   心をもついやさずして

   生死(しょうじ)をはなれ

   仏となる

   たれの人か

   心にとどこおるべき。

 自分がそうした客観的世界である仏を信じるのではなく、

自分のすべてを客観的世界になげいれ、まかせきって、そこ

から自分を見てもらう、という仏と自分が一体となった生き

方です。

 私達はよく「仏を信じる」とか「相手を信じる」という言葉

を使っていますが、そこでは、あくまでも自分という主観的な

信じ方であって、こうした信じ方は、自分の都合次第で変化

するもので、それは、ほんとうの信じ方とは言えません。

 ほんとうの信じ方は自分が信じるのではなく、仏や相手が自分

を信じてくれるものでなくてはなりません。

 ちょうど「信用」とは自分が勝手につけるものではなく、相手が

自分に対してつけるように、はたして私達は、仏から信じられる

ような自分であるかどうかを、問われているのです。

 ほんとうの信じ方は自分が信じるのではなく、仏や相手が自分

を信じてくれるものでなくてはなりません。

もし、信じられていれば私たちは仏の子です。

                ( 仏教伝道協会 みちしるべより )

     今回も最後までお読みくださり、

            ありがとうございました。 感謝!

九 州 方 向 に 祈 り を こ め て !!

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