後の人達へ伝えられるものを残せる人(四人の妻) (2-2) 第 211 号

 釈尊が祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に滞在していた時の

 こと、弟子たちに四人の妻をめとった男の話をした

 ことがあります。

  その男の第一の妻は、夫が最も愛する者で、いつでも

  そばにかしずかせていました。

  第二の妻は常にそばにおいて言葉を交わしているけれ

  ども、第一の妻ほどには愛していませんでした。

  第三の妻はときどき会っては慰めあっていました。

  第四の妻は夫からは愛してもらえず、いつもただ働か

  せるばかりでした。

  ところで、あるとき彼は自分の住んでいる家を後に、

  遠い異国に旅立たなければならない用事ができ、第一

  の妻を呼んで、いっしょに旅行してくれまいかと頼み

  ました。ところが彼女は、

  「いくら愛していても、そんなところへ行くわけには

  まいりません」と拒否しました。

  そこで第二の妻に頼むと、彼女にもあっさり断られて

  しまいました。

  第三の妻に頼むと、「城の外ぐらいまではお見送り

  しましょう」といいます。

  とうとう第四の妻のところへ行き、同行を懇願

  (こんがん)すると、「喜んでお伴しましょう」と

  いいました。

  彼はやむなく第四の妻を連れて旅立たなければ

  なりませんでした。

 そこで釈尊は次のように説かれるのです。

  「実はこの男の旅立つ先の異国とは死の世界のこと

  である。そして四人の妻の夫とは、人間のたましい

  のことである。

  第一の妻とは人間の肉体を指し、いくら生前にそれを

  愛してもあの世へは、道づれにすることは出来ない。

  第二の妻とは人間の財産やこの世でかち得たもので、

  これらも死ぬときにはあの世へ持って行くことが

  出来ない。

  第三の妻とは、父母や妻子やその他の関係者で、

  死んだときには野辺の送りぐらいはしてくれても、

  あの世まではついてきてくれない。

  しかし第四の妻とは人間の心で、生前はないがしろに

  しているが、これこそあの世まで付き添って離れない

  ものだ」

 「人の評価はその棺(ひつぎ)を覆(おお)ってから定まる」

と言われますが、その肉体が消滅し、外見が見失われても、

なおかつ後の人びとへ伝えられる何ものかが残っている人、

 こういう人こそを偉人というべきではないでしょうか。

           ( 仏教伝道協会 みちしるべより )

  寿命や余命を気にすると、人生はつまらなくなる。

   今回も最後までお読みくださり、

          ありがとうございました。 感謝!

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