日々笑いと精進を積み重ねることで前向きな発想が出来る = 2-2 = 第 251 号

 後世の弟子たちは、宇宙の理法を ”法身仏

(ほつしんぶつ)„ 、それを悟った歴史的人物である

釈尊を ”応身仏(おうじんぶつ)„、

 そのはたらきを伝える阿弥陀仏を ”報身仏

(ほうじんぶつ)„ と一応区別していますが、

 ちょうど壺にもその素材と形と用途の別が

あるように、元来は同一物の三側面といえます。

 したがって私達は、宇宙の理法を悟った釈尊の

教えを通して、その働きを感得し、自分も釈尊の

たどった道を追体験することにより、救いが確約

されることになるのです。

 釈尊が悟りを開いて仏陀という「目覚めた人」に

なったのは、「自分の本来の姿とはなにか」

「自分をとり巻く世界の本来の姿がなんであるか」が、

よくわかったということなのです。

 『相応部経典(そうおうぶきょうてん)』によれば

釈尊は、

  「もしも私に、いまだ満たされぬ戒(かい)があり、

  定(じょう)があり、また慧(え)があるならば、

  それらを成就(じょうじゅ)するためには、私は、

  他のシュラマナ(沙門(しゃもん))もしくは

  バラモン(祭司)を尊重し尊崇(そんすう)して、

  近づき住すべきであろう。

  されど私は、この一切世界において、私よりも

  よく戒を成就せるもの、定を成就せるもの、また

  慧を成就せるものを見ることはできない。

  しからば、私はむしろ、わが悟りし法、この法こそ

  敬い尊びて、近づき住すべきであろう」

との確信を得られたといいます。

 ここでいう「戒」とは身体的修行で、

「定」とは精神的修行を指し、これら戒と定が、車の両輪

のように法に照らし合わして体得されると「慧」という

智慧が湧くといいます。

 「法」とは自分をとり巻く世界を成り立たせている宇宙

の法則ということで、それがあらゆるものの規範となり、

秩序を保(たも)たせているのです。

 釈尊はその法を悟り、戒・定・慧によって、体得した方

なのです。

 鎌倉時代の道元禅師(どうげんぜんじ)(曹洞宗の開祖・

1253年寂)も、この悟りを追体験した人として知られて

います。その著『現成公案(げんじょうこうあん)』に、

  「仏道をならうというは

  自己をならうなり

  自己をならうというは

  自己をわするるなり

  自己をわするるというは

  万法(まんぽう)に証せらるるなり

  万法に証せらるるというは

  自己の身心および他己の身心をして

  脱落せしむるなり」と述べているのも、

 同じような悟りの体験内容を語っているのです。

 すなわち、自分が万法という、いのちの働きの中で

生かされていることに気づくことなのです。

          ( 仏教伝道協会 みちしるべより )

   今回も最後までお読みくださり、

        ありがとうございました。 感謝!

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