人の心は行いにあり 第 50 号

 昔の人はよく「不言実行」と言って、自分の

やっている仕事に対しては、努めて、それを

言葉に表して人に認めてもらおうとするの

を差し控え実際になした仕事”そのも

の”の語りかけに、任せたようです。

 今日では大した仕事をしていなくても、それを人

に認めてもらおうとし認めてもらえない時には、

務めて相手の注意を引くようにして、仕事そ

のものの出来、不出来よりも、自分の存在

を認めてもらえさえすればご満悦のようです。

 これではせっかくの仕事も

本人同様に汚く見えます。

 確かに自分の仕事の実績を人に認めてもらえる

ことは嬉しい事で、褒められれば誰も

悪い気はしないでしょう。

 人にけなされるよりは褒められたほうが

良いわけで、褒められれば”ますます

“やる気を起こして仕事の能率や

実績も上がり一石二鳥です。

 しかし、人に認められ褒められれば”やりがい”

があり、そうでなければやる気をなくすので

あれば、まるで駄々っ子と変わりません

 すべての仕事がいつも陽の目を見るとは限らず、

むしろどんなに一所懸命に努力してやったこと

でも、一生陽の目を見ずに闇から闇に葬られ

てしまうことだってあるわけで、その

ほうがかえって多い事でしょう。

 世の中には、自分自身が美しい花になりたがる人

は多くいても、その花を活かして育てたり

咲かせる人は少ないようです。

 そうした縁の下の力持ちがいてこそ美しい花が

咲き、それを愛でることが出来るのです。

 新幹線が超高速で走れるのも、それを安全・確実に

走らせる為の保線や工事・整備等を行う人たちの

かげの努力があってこそ可能なのです。

 野に咲く美しい花でさえも、一生涯誰に認められる

こともなく朽ち果ててしまうことが、ざらです

花自身が、そのことに文句を言っているの

を聞いたことがありません。

 詩人の高田敏子(1914-1989)さんは、「花は咲く 

だれが見ていなくても 花の命の美しさの

ために」と歌っていますが、

 これは武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)

(1885-1976)さんの、「見るもよし 見ざる

もよし されどわれは咲くなり」と同じ

ような意味と受け取れます。

 私達と違って花自身は、人が見ていようが

見ていまいが自分の命を、精一杯出し

切って咲いています。

 にもかかわらず、人間だけが「おれが、おれが」

と自己主張していい気なものです。

 そんな人を、鎌倉時代の日蓮聖人(日蓮宗の開祖)

(1222-1282)は、「愚人にほめられるは第一の

恥なり」開目鈔(かいもくしょう)と 

固く戒めています。

 おそらく、自分の実力や実績がどの程度の

ものであるかを一番よく知っているのは、

自分自身ではないでしょうか。

 その自分をごまかし相手を欺いて虚名を

はせ、人から褒められていったい

何になるというのでしょう。

 外面をいくら良くしてもいつかはその皮が

はがされて痛い目にあうのは自分自身です。

       ( 仏教伝道協会 みちしるべより )

 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。 感謝!

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